
東南アジアの或る国で撮った・・ように見えるかもしれないが、京都市伏見区の外れに、この祠はあった。八月の地蔵盆のときにだけお参りされるわけではなくて、いつも地域の人たちから大事にされているのがわかる。当番制になっているものと思われる。そうでなければ、こんなに花が生けられている筈がないと思うのは、私の心が乾いてしまっているからか。
お寺の境内にある場合は、このように顔を描いてしまうことはないと思われる。顔を撫でる風習があるのか、古い時代のもので風化が進んだのか、大事にしすぎて磨き上げるから摩耗してしまったのか、よほど柔かい石に彫られたものなのかなどと推理する。描いてしまったのは、地域の子ども達の提案だったのか、悪気なく描いてしまったのか、何となくそのように決まって筆を入れたのか、何人かで相談しながらなぞったのかなどとも推理する。
文句を言う筋合いはもとより無く、ただ面白く感じて撮らせてもらった。布団が屋根状にかけてあり、よだれかけも何重かになっている。いろんな想いが込められ、願いが籠っている信仰の対象なのだ。