画像の狐の襟巻きは、子供の頃に見慣れていたものだ。姉が母から嫁入り時に持たされたけれど、一度も使うことなく箪笥に入ったままだったそうだ。持て余すので処分したいが引き取るか・・・と連絡を受けて、もらいうけることにした。
記憶というのは何とも曖昧でいいかげんなものだなぁ・・と現物を見て思った。もっと小さく細くてかわいい印象だったのだが、宅急便を開けてびっくり。こういうのは生き生きとは言わないのだろう。実に生々しい。姉の表現を借りるなら『迫力あり過ぎ』。
ネットで調べて見ると、赤狐というらしい。画像をいくつか見たが、ウチのほど赤くて見事なものはない。昭和の初めころ流行ったらしい。肢まであるのは、今では珍しいそうだ。その肢は何だかよじれていて痛々しい。中に綿でも詰めたらよかろうに、毛と皮だけのようだ。爪なんかもあったりして、おぞましい。眼はもちろん義眼だけれど怖い。口は骨や歯はなく縫い合わされているから細くて哀れを誘う。
思い出の品なので引き取ったが、どうしたものだろう。肢を切り取れば、マガマガシイ感じはなくなるかも知れない。首も取ったら、普通に襟巻きらしくなるかも知れない。尻尾を取ってはもったいないだろう・・・見事にふさふさしているのだから。と、こんな事を思うけれど、はたして誰が首に巻くのか・・。
この赤狐の襟巻きは、私の大叔父が大正の頃(?)にアルゼンチンに移住したのだが、移住する前か一時帰国した時か判らないが、祖母にプレゼントしたものだという。それを嫁である母が受け継ぎ、姉のものとなり、このたび私のところにもらわれてきたという次第。
先日韓流ドラマを観ていたら、イケメン歌手という設定の青年が、片方の肩にキツネかテンかミンクか分からなかったけれど、毛の襟巻きを垂らしていた。そしてその母親で歌手だという役の女優も同じようにやっていた。そうか、首に巻かなくてもそういう使い方があるのか・・・と思ったが、それを自分がやるなんてことは、こっぱずかしくてできそうもない。
全身最高のおしゃれを決めて、赤狐の襟巻きを肩に垂らして写真館で撮ってもらおうか・・と、ひらめいた。私が死んだら葬式はせずに家族で樹木葬なり散骨なりで済ますようにと言ってあるが、遺影には贅沢をしよう・・・と思う。
こちらの本物は脚と脚をを結んで固定するのではないのでしょうか
肢が何といっても貧弱というか、哀れというか、見映えがしないのです。
漫画に登場するような、ザーマス奥様が金縁の三角の眼鏡をしてこれを巻くと、それらしくていいのかも知れません。
そんな女人が周りにいないので・・・残念ながら幸い・・です。