透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

原風景としての諏訪湖

2010-08-23 | A あれこれ





■ 昨日(22日)の午後茅野市民館のマルチホールで行われた伊東豊雄さんと藤森照信さんのトークセッションを聴いた。

朝9時から整理券を配布するとのことだったから、その30分前には館外の行列に並んだ。番号40の整理券を受け取ってから、原村まででかけた。その成果が前稿に載せた火の見櫓というわけだ。

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空飛ぶ泥舟に乗りこんだ伊東さんと藤森さん 地元長野のテレビ局の取材を受けていた。窓から顔を出すふたり。アップの写真ももちろん撮ったが、有名人の顔写真を載せるとまずいだろう(肖像権の問題)、いや有名人でなくても・・・。

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午後2時から始まったトークセッション、気心の知れたふたりとあって終始和やかに進んだ。予定の2時間では終わらず質疑応答を含めて3時間かかった。

藤森さんは伊東さんの原風景として諏訪湖を挙げる。伊東さんの建築にある「水平感」。これは諏訪湖の水面だという指摘。

伊東さんも『透層する建築』青土社(2000年発行)に収録されている「湖に捧ぐ」という文章の中で**湖は常に中心であり、大きな自然のステージであった。すべての視線は湖にいつも向けられていた。山を望むときは大概は湖を越えた向かいの山を仰ぐのであり、背後の山を振り返ることは滅多になかった。**と書いている。

過去ログ ←参照

ここでトークセッションでも話題になった「中野本町の家」を挙げる。伊東さんのお姉さんの住宅だが、伊東さん30代半ばのこの作品は実質的なデビュー作、と言ってもいい。

で、この住宅の空間構成は諏訪湖と諏訪湖を取り囲む里山からきていると読み取れると藤森さんの指摘を理解した。

なるほど諏訪盆地を住宅にしたのか、すると中庭が諏訪湖というわけか・・・。帰宅後この本を取り出してプランや写真を眺めた。素直に納得できた。こういう捉え方は好きだ。

ちなみに藤森さんは京都駅の空間構成を設計者の原廣司さんの育った伊那谷を建築化したものだと指摘している。

トークセッションの最後に藤森さんが伊東さんにぶつけた質問。上がり(すごろくの上がりと同義)の建築として何を目指すか。伊東さんの答え「自由」。

建築は人の行動をどうしても拘束してしまう。野原のように自由に歩きまわることができる建築ってできないものだろうか・・・、という伊東さんの想い。

なかなか興味深い対談だった。


047~050 茅野市・原村の火の見櫓

2010-08-23 | A 火の見櫓っておもしろい

①047
原村森山小路



②048
茅野市泉野


③049
原村北ノ辻
追記:撤去されたそうだ。



原村南辻

④050
を横から見ると・・・

 八ヶ岳の麓に位置する原村。この村にはまだ板倉が残っているはず。そう思って今日もN君と出かけてみた(感謝)。

予想に反して、板倉はほとんど見つからず、土壁を塗ったままの土蔵も健全な状態のものを見ることはできなかった。やはり土壁は雨に弱く、傷みやすいのだ。かつては傷めば更新するという当たり前のシステムが成立していた(というかそれしかなかった)のだが、今はそのシステムが崩れてしまっている。大半は安価な金属サイディングなどで覆われてしまっていた。何とも残念だが仕方がない。

状態のいい倉(蔵)には出合えなかったが、火の見櫓には何基も出合った。

 消防車庫と2階の詰所がものの見事に櫓のなかに収まっている。これは見事と言う他ない。こ の火の見櫓は昭和30年の作。鉄骨の火の見櫓が全国的に盛んに造られた頃だ。

 かなりの「がに股」状態でかろうじてクリア。

 収納庫の軒先を貫通する火の見櫓の脚部。出来たのは火の見櫓が先か、倉庫が先か・・・。

 これはもう合体!


047~050