透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

― 細身の火の見櫓には荷が重すぎないか

2010-08-28 | A 火の見櫓っておもしろい



 安曇野市明科の火の見櫓に付けられている銘板。地元集落のシンボルをつくったという鉄工所の誇りがこの立派な銘板から感じられる。昭和38年、古き良き時代にできた火の見櫓。

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都市計画が専門の西村幸夫氏は『火の見櫓 地域を見つめる安全遺産』に「地域遺産としての火の見櫓」という論文を書いている。

この論文のなかで、西村氏は火の見櫓の新しい役割としてまちづくりのひとつの契機と考えることを提唱している。

火の見櫓の文化財としての価値を明らかにする作業を通して、**火の見櫓のある風景をたんなる当たり前の風景として見過ごすのではなく、日本の地域づくりの貴重な努力が生み出した文化的な風景だとして価値づけることがまずは必要であろう。**と指摘する。

更に火の見櫓を地域のまちづくり運動の業績を示す一里塚として見直すべきだとし、**火の見櫓を生みだしてきた地域の力を、防災だけでなく、地域づくり全般へ戦略的に拡げて、地域経営の道筋を語る必要がある。そのとき火の見櫓はそうしたエネルギーの象徴として、十分に役割を果たしうると思う。**としている。

西村氏が次に挙げているのは景観的な価値から火の見櫓のある風景を再評価すべき、という提言。火の見櫓は風景の中に在って全く違和感はない。日本の風景によくなじむランドマークだと思う。

たかが火の見櫓、されど火の見櫓。でもこんなに期待してしまって、細身の火の見櫓には荷が重すぎないか、と心配になる。

メモ) 
1 本には全国の火の見櫓の写真が何基も載っていて興味深い。徳島県藍住町奥野というところにある火の見櫓はすごい。自然木そのままの立ち姿、そこに見張り台と半鐘が設置されている。高過庵の火の見櫓版と書けばその姿のイメージが伝わるかもしれない。
2 昭和38年といえば1963年、このブログ今回が1963稿、偶然。 




 


「ぶらりミクロ散歩」

2010-08-28 | A 読書日記


 やっと火の見櫓の呪縛から解放された!?

岩波新書、8月の新刊から手にしたのがこの本。顕微解剖学が専門の著者が電子顕微鏡で台所にある食べ物や庭先に咲く草花など身近にあるものを覗く。

まずは著者を苦しめた尿管結石のミクロな姿。鋭い刃物の寄せ集めのようだ。こんなものが尿管にあれば痛いはずだ・・・。ヤダヤダ。

ショウジョウバエの目。視細胞がドーム状の曲面に規則的にびっしり並んでいる。ミクロの世界の繰り返しの美学。

キンポウゲ花弁の表層構造。これは現代アート。こんな絵を描くアメリカの画家、名前が出てこない・・・。東京都現代美術館で展覧会が開催されたような気がするが。

サクラソウの花粉。三角おにぎりに三角模様というか・・・、この美しい形をどう表現したらいいのだろう。

やはり自然はすごいと思う。ミクロな世界も手を抜くことなくきちんとデザインしている・・・。




― 2300基!

2010-08-28 | A 火の見櫓っておもしろい



 安曇野市明科で見かけた火の見櫓。真っ先に屋根のてっぺんの矢羽根に目が行った。鉄工所のおじさんが楽しんでつくったにちがいない。



平面形が三角形の櫓に円形の見張り台と円形の屋根。3本の柱の上端を結ぶ梁にも柱と同じアングル材が使われている。梁にフラットバーを渡して避雷針を受け、半鐘を吊り下げている。見張り台の手すりは飾りっ気なし。私好みのシンプルなデザイン。

昨晩(27日の夜)読んだ『火の見櫓 地域を見つめる安全遺産』鹿島出版会 によると長野県内の火の見櫓の数は2300基くらいと推定されるという。松本在住の方が1870基確認したそうだ(2004~2005年)。

先日松本から明科経由で池田町(北安曇郡)までの間、20数キロの道路沿いに11基の火の見櫓を確認した。確かに数が多いと思う。今回取り上げたのはその内の1基。

**火の見櫓の個性豊かで細長いプロポーションを見ていると、まるで人が立っているように思えてくる。**

先の本に出てくるこのくだりを読んで、やはりそうか・・・、と思った。著者は人と書いてはいるが、若い女性に見えているに違いない。