■ 安曇野市明科の火の見櫓に付けられている銘板。地元集落のシンボルをつくったという鉄工所の誇りがこの立派な銘板から感じられる。昭和38年、古き良き時代にできた火の見櫓。
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都市計画が専門の西村幸夫氏は『火の見櫓 地域を見つめる安全遺産』に「地域遺産としての火の見櫓」という論文を書いている。
この論文のなかで、西村氏は火の見櫓の新しい役割としてまちづくりのひとつの契機と考えることを提唱している。
火の見櫓の文化財としての価値を明らかにする作業を通して、**火の見櫓のある風景をたんなる当たり前の風景として見過ごすのではなく、日本の地域づくりの貴重な努力が生み出した文化的な風景だとして価値づけることがまずは必要であろう。**と指摘する。
更に火の見櫓を地域のまちづくり運動の業績を示す一里塚として見直すべきだとし、**火の見櫓を生みだしてきた地域の力を、防災だけでなく、地域づくり全般へ戦略的に拡げて、地域経営の道筋を語る必要がある。そのとき火の見櫓はそうしたエネルギーの象徴として、十分に役割を果たしうると思う。**としている。
西村氏が次に挙げているのは景観的な価値から火の見櫓のある風景を再評価すべき、という提言。火の見櫓は風景の中に在って全く違和感はない。日本の風景によくなじむランドマークだと思う。
たかが火の見櫓、されど火の見櫓。でもこんなに期待してしまって、細身の火の見櫓には荷が重すぎないか、と心配になる。
メモ)
1 本には全国の火の見櫓の写真が何基も載っていて興味深い。徳島県藍住町奥野というところにある火の見櫓はすごい。自然木そのままの立ち姿、そこに見張り台と半鐘が設置されている。高過庵の火の見櫓版と書けばその姿のイメージが伝わるかもしれない。
2 昭和38年といえば1963年、このブログ今回が1963稿、偶然。