694 上田市真田町長(さなだまち おさ)にて 東信地方でよく目にするタイプの火の見櫓 撮影日161022
カンガルーポケットの真横を見上げる。手すりに消火ホースを掛ける太いフックがついている。ここの高さはざっと10メートル。消火ホースの長さは20メートルだから、ちょうどよい高さ。この火の見櫓も踊り場から上に掛けてある梯子は横に傾いていて、支柱と踏み桟(梯子段)は直交していない。昇り降りしやすのかどうか気になるところ。平面形が正方形の屋根と真円の見張り台、基本的な幾何学図形の組み合わせが美しい。
ブレースのリングのところに大日向分団という文字を付けてある。上の写真には「団」が写っている。脚元が少し錆びているのは残念。
取り付けてあるプレートに昭和参拾壱年参月と建設年の表記があり、長村消防団 大日向分団とも表記してある。
この長村について調べて、1958年(昭和33年)に傍陽(そえひ)村、本原村と合併して真田町となったことが分かった。
この3村について調べて、長村は真田村、横尾村、横沢村、大日向村が1876年(明治9年)に合併してでき、傍陽村は上洗馬村、軽井沢村、曲尾村が1874年(明治7年)に、本原村は上原村、中原村、下原村がやはり1874年(明治7年)合併してできたことが分かった。真田は以上の10ヶ村から成る町だった。
真田町には火の見櫓が多いという印象だが、その理由はこのこと、即ち元々10もの村だったことにもあるように思う。火の見櫓は地区単位で建てることが一般的だったから。町がなだらかな丘陵にあるために火の見櫓が平地に比べて遠くまで見えやすい、ということもあるのかもしれないが。