透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

85 「台所いいですか?」のAさん

2016-10-02 | C 名刺 今日の1枚



85枚目
 


■ 台所88ヶ所漫遊を企画・実践し、そのレポートを新聞にしているAさんとカフェ マトカで待望のごた~いめん。

Aさんは知人・友人のお宅を訪問して台所を観察し、味噌汁づくりを観察し、それから食事を一緒にいただく。そしてそれらのレポートを新聞にして88部発行している。88という数は四国の札所の数に因る。

この新聞が発行される度にカフェ マトカで読んでいた。

前にこのことを書いているが、私はその記事を**A3サイズ縦使いのペーパーには縦横の折り目がついていて、A5サイズにたためる。で、縦の折り目の両端はつながっているが中の半分くらいが切れていて、ちょっと横に引っ張ると、縦長の2枚に割けてしまう。この意図が分からない・・・。 Aさんにお目にかかる機会があればこのことを伺いたい。**と結んだ。過去ログ



そのAさんとボクがようやくつながった。 

Aさんと知り合いだという鉄塔写真家のFさんから、Aさんが目論んでいる企画に協力して欲しいという趣旨のメールが届き、早速Aさんに連絡して今日(2日)の午後対面することができたという次第。 

U1―Fさん―Aさん 

テーブルの上にコーヒーカップが3つあるのは、Fさんも誘ってマトカに出かけたから。

あれこれ雑談をしてから、ペーパーに切れ目を入れている意図をAさんに訊いた。ものとしての紙を表現したい、ということだった。切れ目を入れるのは、紙であることを強調するため、ということだろうか。レポートをネットに公開してもパソコンの画面は切れない。紙とは決定的に違う。

なるほど、電子本は紙の本とは違って破れてしまうこともないし、変色もしない。また、読みかけのところで頁の角を犬の耳のように三角に折ることもできない。もっとも最近ではそれに近いことが電子本でもできるらしいが。

Aさんはレポートの文章のような人だったって、具体的に表現することは難しい。 

文は人なり。

Aさんの名言:台所で人生が見えてくる
Fさんの名言:電気は愛なんです

以上


「名刺今日の1枚」 というカテゴリーだからアルコール摂取過多(って缶ビールひと缶だけ)と昨晩の夜更かしで眠いけれど何とか今日書いた。

さて、寝る。

 


岡谷市のマンホール蓋

2016-10-02 | B 地面の蓋っておもしろい


撮影日161002



 岡谷市にも市の花ツツジと市章をデザインしたマンホール蓋はあることは承知しているが、とりあえず今回は火の見櫓を背景にマンホール蓋を撮るというミッションの遂行を優先した。で、前稿の火の見櫓で敢行した。このマンホール蓋はJIS蓋の変型パターン。

JIS蓋は下の塩尻市の蓋のようになっている。この地紋を言葉で説明するのは難しいが、バウムクーヘンのピースを並べたような輪が2重になっている。内側はピースが8、外側が14。

岡谷市の蓋の地紋は輪が3重で、ピースの数は内側が8、中が12、外側が16だ。共に4の倍数だから、並びが良い。このようなデザインが珍しいのか、そうでないのかは分からない。







652 岡谷市長地の火の見櫓

2016-10-02 | A 火の見櫓っておもしろい


652 岡谷市長地柴宮 撮影日161002




下り棟の先に蕨手の無いすっきりした方形の屋根。屋根は反っていることが多いが、この屋根は少しむくっているように見える。手すりにもブレースのデザインを採用しているが手すりが円形だから、割り付けは細かい。半鐘のほかにスピーカーが4つ、床にサイレンを設置してある。赤色回転灯らしきものも設置してある。遠方から撮った下の写真を見ても屋根頂部の雨仕舞をどうしているのか分からない。


踊り場の手すりも見張り台と同様のデザイン。ここにも半鐘が吊るしてあるが、雨除けの小屋根はない。櫓はこの部分にもアーチ部材を用いて構成している。地上から踊り場まで外付け梯子だから櫓内に入るために、また半鐘を叩くために2方向には必要な構成。

消防団屯所と火の見櫓とがこのような位置関係の場合、2階から火の見櫓に登ることができるようにしてあることも少なくないが、ここはそうしていない。




消防団の屯所。シャッターに絵が描いてある。消防を身近なものに感じてもらうためなのか、小学生が描いた絵をよく見かける。消防の小型トラックの後ろの壁に消防信号板を留めてある。


 


「須賀野祭」

2016-10-02 | A あれこれ

 昨日(1日)松本市の郊外にある菅野中学校の前を車で通り、正門のところに「須賀野祭」と書かれた立て看板が設置されているのを目にした。その時、これは菅野という地名の古い表記かもしれないと思った。

ネット検索してみると、斎藤茂吉の「万葉秀歌」に納められている次の歌がヒットした。

信濃なる須賀の荒野にほととぎす鳴く声きけば時過ぎにけり (巻十四・三三五二)東歌 

茂吉の解説には**梓川と楢井川(*1)との間の曠野だとする説(地名辞書)が有力だが、他にも説があって一定しない。元は普通名詞即ち菅の生えて居る荒野という意味から来た土地の名だろうから、此処は信濃の一地名とぼんやり考えても味わうことが出来る**とある。

菅野中学校についてネットで調べると、この校名の由来が上掲した歌にあることが記してあった。万葉集の歌から付けられた校名か・・・。

同校の歩みを見ると 昭和58年 文化祭の名称が菅野祭(かんやさい)から須賀野祭(すがのさい)へ変わるとある。これもすごい、和歌や地名などに深い見識のある関係者がそうしたのだろうか。

地名は文化だということを改めて認識した。

HPには菅野中学校の校歌を窪田空穂が作詞したことも紹介されている。ちなみに2番の歌詞は次の通り。

わが胸に離れず添える 校章はわれらが心
菅の根の根ぢから強く 菅の葉の素朴に清く
わが国のゆくてを負わん わが学ぶ菅野中学校

校名といい、校歌といい、この学校はすごい。


過去ログ

*1 筆者注:現在は奈良井川と表記している。