透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

塩尻市の農集排マンホール蓋

2019-07-07 | B 地面の蓋っておもしろい




塩尻市北小野勝弦 撮影日190707

 今朝(7日)、塩尻市北小野勝弦まで出かけてきた。この地区の農集排マンホール蓋の写真を撮るために。前稿に火の見櫓(1224)を載せたが、どちらかというと、蓋が主目的だった。これで塩尻市の農集排マンホール蓋、6種類全て蒐集したことになる。

蓋に描かれているキキョウは塩尻市の花、内側に描かれているのはよく分からないが勝弦の風景だろうか。「勝弦地区農集排」という文字も入っている。

周りに市の花、内部に風景というデザインはよく目にするタイプだろう。


 


1197 塩尻市北小野の火の見櫓

2019-07-07 | A 火の見櫓っておもしろい


1197 4脚44型 塩尻市北小野勝弦 撮影日190707




 小野から岡谷に抜ける県道254号沿いに立っている火の見櫓。梯子桟の間隔と数により、総高を約14mと推測した。これからは柱スパンと総高をできるだけ調べるようにしたい。

ピラミッド型(方形)の屋根で蕨手はないが、この形に蕨手は不似合い。避雷針と四角い見張り台の手すりに同じような形の飾りが付いている。手すりの〇とハート形を逆さにしたような飾りの組み合わせはよく見かける。

見張り台床にはU形の開口があるが、それと同形の手すりを見張り台に付けてある。見張り台の四隅に直線部材の方杖を突いている。全体的にカチっとしたデザインだ。




手すり付きの外付け梯子から踊り場に移動する。踊り場には赤い半鐘を下げてある。



脚部もやはりカチっとしている。美脚なのかどうか、判断しかねる。



たまにはこの様な真下から櫓を見上げたアングルも好い。


 


旧開智学校校舎 国宝指定答申報告会

2019-07-07 | A あれこれ

 松本市立博物館で昨日(6日)開かれた「旧開智学校校舎 国宝指定答申報告会」に出席した。旧開智学校校舎学芸員の遠藤正教さんが、次のような内容の報告を行った(会場で配布されたレジュメによる)。

1 文化審議会の答申について
2 調査研究報告書について
 (1)擬洋風建築とは
 (2)建築編
 (3)教育編
 (4)歴史編
 (5)結語
3 研究事業について

この調査研究報告書を報告会終了後に買い求めた。他にも読みかけの本があるが、この興味深い報告書も早く読みたい。この調査研究が国宝答申を後押ししたと新聞に載っている。



報告会で 校舎正面のシンボリックなデザインについて、なるほど!なことを知った。



清水重敦氏(京都工芸繊維大学教授)が次のような指摘をしているという。**旧開智学校校舎の車寄は、開成学校の正面ポーチと脇棟車寄の唐破風を上下の重ねて再構成されている(後略)**以上、報告者32頁からの引用(下線は私が引いた)




開成学校のポーチ(下)唐破風(上)

開成学校の唐破風とポーチを上下に重ねて構成しているそうだ。なるほど!



旧開智学校を設計・施工した立石清重(過去ログ)は異なる要素を上下に重ねることが好きだった、と遠藤さん。中町通りのはかり資料館の裏庭に移築され、2011年2月11日から一般公開されている旧三松屋蔵座敷(過去ログ)も立石の作品だが、和室の上に洋室を重ねている。

*****

それからもうひとつ、八角形の塔屋のデザインについて。学芸員の遠藤さんから次のような説明を聞いた。

旧開智学校を特徴付けている八角形の塔屋は設計初期には無かったそうで、設計途中、というか工事の直前で追加が検討されたという。

建設に必要な木材のリストにはじめは無かった部材、柱5.5間(約10m)×5寸×6寸 松 4、 柱4.5間×5寸×6寸 松 4 が追加されていて、これが塔屋用だそうだ。

校舎平面図(設計途中の検討図面か)にも塔屋を描いた別の紙が後貼りされているという。この図面は展示されているのだろうか、8月3日に予定されている見学会(予約制)で確認したい。

塔屋が第一国立銀行と海軍兵学寮と酷似しているということも説明があった。会場のスクリーンに映し出された写真は確かによく似ていた。第一国立銀行の塔屋は高欄が方形で、旧開智学校の塔屋の高欄も方形で検討された時期があり、前述の図面では高欄は方形だという。

このことについては、報告書の33頁にも**塔屋の形状は第一国立銀行と海軍兵学寮と酷似している(*1)。**とある。



*1 立石清重は旧開智学校の設計にあたり、東京や横浜に洋風建築の見学に出かけている(徒歩で)。

今まで知らなかったことを知るということは楽しく、嬉しいものだ。8月3日の見学会も予約した、今から楽しみ。