■ 今日(190727)、諏訪まで出かけてきた。目的は上諏訪駅前の歩道に設置された新しいマンホール蓋を見ること(前稿)と、諏訪湖の水陸両用バスの写真を撮ること、それからサンリツ服部美術館で国宝の茶碗(本阿弥光悦作:白楽茶碗 銘不二山)を鑑賞することだった。
2012年9月23日に載せた記事(友人のKちゃんとの会話シリーズ)に手を加えて再度載せる。
「Kちゃん 久しぶり。待たせてごめん」
「あ、いえ、私も今来たところでまだ注文もしてません」
「あ、そう?何にする?」
「アイスコーヒーがいいな」
「すみません。アイスコーヒーとホットコーヒーお願いします。それからチーズケーキふたつ」
「U1さん、先日新聞に載ってましたね(*1)。見ましたよ。火の見櫓の写真が何枚も。見開きで大きく載っていて、びっくりしました」
「あの記事を見た人からメールをもらったりしてね。これで火の見が日の目を見ることになればいいけど、ってオヤジギャグじゃなくて。まあ、興味を持ってくれる人は出てくるかもね。Kちゃん、この写真見て」
諏訪湖の水陸両用バス
「あ、これって諏訪湖の水陸両用バスですよね」
「そう、水上を走っていてもバス。これって水陸両用船ってどうして言わないんだろうね」
「え~、だってバスの形してるじゃないですか・・・」
「じゃ、さ、遊覧船の形をしていて、船底に車輪が付いていたらどうだろうね」
「え?見たことないから分からないですけど・・・、水陸両用遊覧船、ですかね」
「それって、つまり何であるかということを形というか、見た目、外観で判断しているってことだよね」
「そうですね。でも普通そうじゃないですか?」
「じゃあ、普通の住宅をカフェに改装している途中の建物はどっち?住宅?カフェ?」
「え~、どっちだろう。完成していないんだからまだ、住宅なのかな。違うかな。でもどうしたんですか。こんなこと聞いて」
「この写真、見て」
「あ、これって新聞に載ってた火の見櫓ですよね。確か大町の神社の」
「そう。でもこれは火の見櫓じゃないらしい・・・」
「え?どうして・・・、違うんですか?」
「これは太鼓櫓といって、神社の祭りの時なんかに、ここで太鼓を叩くんだろうね。だから、用途が違う」
「あっ、分かった。いままでの質問って、これに関係していたんですね。湖面を航行していても船ではなくてバスだって思うとか、住宅なのか、カフェなのかと同じ問題」
「そう、人はものをどのように認識するかという問題。機能というか用途ではなくて外観で判断してしまう傾向がどうしてもあるということのいい例かなぁ。ここに半鐘を吊るしてあったらどうだろうね。誰が見たって火の見櫓だって思うよね。でもその半鐘は飾りで、本当は太鼓櫓なんだろうね」
「う~ん、そうなんでしょうね。でも何かの事情でここで太鼓を叩かなくなったら?」
「その場合は何なんだろうね」
*1 2012年9月18日付タウン情報(現MGプレス)に掲載された。