透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

三浦しをんを読もう!

2006-08-12 | A 読書日記

 

『**久々に本屋へ行き、直木賞受賞のまほろ駅前 多田便利軒』/ 三浦しをんを買いました。カバーの写真が面白かったので。(中略) 結局、即日読破の1冊でした。** 知人からメールで紹介された三浦しをん。

先日書店に出かけたが、『ざらざら』に遭遇してカワカミワールドに浸ってしまった(Kさんごめん)。でも三浦しをん、気になって『しをんのしおり』新潮文庫を昨日購入した。オモシロイ! カバーには笑い出したら止まらない、抱腹微苦笑ミラクルエッセイとある。

**最近、少々おむずかりのご様子のマイ・マックちゃん。突然電源を落としたりしちゃうんだ。ンもう! (中略) 急に「フシュー」とか言って電源をおとすというのは何事か。君は蒸気機関車かね?(中略)「今度やったら本当にブン殴るんだから!あんたの青い顔をさらに青あざだらけにしてやるんだから!」といいたくなる。**

こんな調子のエッセイのオンパレード。

若い人の元気な文章、暑い夏に読むのにはいい。夏休みは三浦しをんに決めた!『まほろ駅前 多田便利軒』を読もう。確か角川文庫にもあったな。新潮文庫にもまだあるな。


 

 


開智学校のエンジェル

2006-08-12 | A あれこれ


開智学校 (060811)

 開智学校を見学してきました。外観の写真、何とかオリジナルなポイントを探そうとしたんですが、結局このアングルなんですよね。

開智学校って日本の教育史にも登場するし、近代建築史にもまず例外なく登場します、それも写真付きで。受付で受け取ったパンフレットによると建設費の約7割が地元松本の住民の寄付で賄われたそうです。設計と施工は同一人物で、立石清重という大工棟梁ということも紹介されています。東京方面へ出掛けて西洋館の勉強をしてきたとか。明治になったから、寺子屋みたいなイメージではダメっていう空気だったんでしょうね、きっと。

建設当時は正面やや右側に立派な門があってそこから敷地内に入り正面玄関にアプローチするようになっていたことがパンフレットの写真で分かります。やはり当時のアプローチがベストだと思います。現在そのようになっていないのは残念です。

ところで正面のバルコニーの屋根の下でエンジェルが「開智學校」という横断幕を掲げています。以前このエンジェルが男の子だと何かで読んだ記憶があって、その確認に行ってきたんです。あそこが凹か凸かどっちなんだ。

分かりました、男の子。でもどうして? そもそもエンジェルって女の子じゃなかったかな。違う? はっきり男の子って分かるように、わざわざ凸をくっつけたのにはきっと理由があるはず。それは何故?

それにしてもこんなに凝った学校を造ったなんて・・・。当時の人たちの教育に寄せる関心、期待の大きさが窺えます。




ガウディの伝言

2006-08-10 | A 読書日記


スペインのバルセロナで92年にオリンピックが開催されてからサグラダ・ファミリアと、この大聖堂の設計者である建築家ガウディの名が世界的に知られるところとなった。

『ガウディの伝言』光文社新書の著者、外尾悦郎氏は既に30年近くこのサグラダ・ファミリアで仕事を続けている彫刻家だ。ガウディが生涯を閉じたのは1926年のことだから、1953年生まれの外尾氏はもちろんガウディに直接会っているわけではないのだが、仕事を通じてガウディのメッセージを常に聞き取ってきた方だ。そういう方がガウディと彼の作品を論じた本だから、具体的で説得力があって大変興味深かった。

こんな記述がある。
**自然を言語で捉え、理論や公式を打ち立てていこうとするのが科学者の精神であるとするなら、自然を直感的に捉え、自分の手を信じて、とりあえずものをつくってみようとするのが職人の精神です。**

ものは、知性と感性との統合によって認識されると以前書いたがその捉え方と符合する。この記述を読んで「そうだよね!」と我が意を得たりという感じで読み進んだ。

それにしてもこの大聖堂、建設が始まって既に123年経過したという。一体いつになったら完成するのだろう・・・。
この本には、2020年代の完成を目指していると書いてあるが、本当に完成するんだろうか。

つくり続けていくという人間の営み自体に本当の価値があるのではないか、と著者は指摘している。なるほどそうかもしれない、私はこの指摘に素直に頷けた。

直接体験したことは、やはり深い。読了してそう思った。

透けるタペストリー

2006-08-10 | A あれこれ



 タイトルを「透明タペストリー」としてブログを始めたから、タペストリーを意識するようになったのかもしれない。ときどきタペストリーという文字を目にするようになった。先日新聞にこんな記事を見つけた(写真)。

飯山地方の伝統工芸、内山和紙を使った作品を公募したところ全国から応募があって、「扉の先に広がる風景」を表現した作品が大賞に選ばれたという。
飯山市内の展示会場でこの作品は窓際に飾られて、外からの光を柔らかく透かせている、と新聞記事は伝えている。

タペストリーは装飾用の壁掛けだが、どうやら糸で編んだものという条件が付加されるようだから、この作品はタペストリー風ということなんだろう。

7日(月)のテレビ欄で、「韓国ポジャギ・夏のタペストリー」という番組を見つけた。なんとなく気になって録画しておいた。ポジャギという布を使ったコースターやテーブルクロス、タペストリーが作り方と共に紹介された。透ける薄絹の小さな布をつなぎ合せて作るタペストリーは、いかにも涼しげで夏のインテリアにピッタリだと思った。薄く色のついた布で作ったタペストリーを「布のステンドグラス」と紹介していた。布の重ね代の部分だけ光の透過が少なく、ちょうどステンドグラスのフレームのように見えた。なるほど確かにステンドグラスだな、と思った。透過してくる柔らかな光が美しかった。

タペストリーというとコンクリート打ち放しの壁に掛けられた、毛糸を編んだざっくりとした作品や、民家風の住まいの白壁に掛けられた麻布の藍色のタペストリーなどを思い浮かべる。

透明人間のように見えないタペストリーなんて装飾品として意味を持たない。意味のないことを書くのだからこのブログのタイトルに相応しいと考えていた。
今回、この2件で透けるタペストリーの魅力を知った。ブログのタイトルについてちょっと考えが変わった。 でもブログに書くことは、変えようがないだろうな。

 


どうなるのかな?

2006-08-08 | B 繰り返しの美学

 

繰り返しの美学 060805 


 今回は今後の利用法について市民が関心を寄せている旧第一勧銀ビル。

このビルは松本城へアプローチする最後の直線、大名町の中程に位置している。写真でも分かるが街路樹のシナノキが大きく育っている。この通りが落ち着いた雰囲気を醸し出しているのはシナノキとこのビルに因るところが大きい。

このビルをどのように再生・利用するのかが観光都市松本にとって、重要な問題であることは、この場所に立ってみると容易に理解できる。

このビルの魅力は、何に由来するのか。昭和12年に建設され、この街の「歴史を記憶している」という指摘はちょっと観念的にも思える。

具体的に捉えよう。それは結局縦長の窓の繰り返しなのだと言い切ってしまってもいいのではないか、私はそう思う。ビルのファサード(正面)では縦長の窓が7回繰り返されている。以前書いたが、5回で繰り返しの美学の条件クリアーだから、十分満足している。

窓の部分を拡大して載せた。頂部のアールは、半円でもないし(以前載せた国立駅の三角の正面の壁には半円の大きな窓がついている)、ゴシック風の尖塔アーチでもない、独特の美しいアールだ。壁の大きな面取りもこのアールを強調し、惹きたてている。夕方になって暖かな明りがこの窓から通りにこぼれる様はきっと美しいに相違ない。建築は黄昏時がやはりいちばん美しい。
 
この建築の今後の利用法については現在2案、提示されている。どちらに決するのかやはり気になる。クラシックの流れる空間で静かにワインを味わう・・・。


 

 


折りたたむ

2006-08-07 | A あれこれ

 ○ アサガオ(06080)

寅さんをテレビで見ていて思った、さすがプロ、いい映像撮ってるな~ と。
人物の配置がベストだし、必要なのもが過不足なく入っていて、なおかつ美しい。同時にカメラマンはこのシーンは縦フレで撮りたいな、と思うことはないだろうかとも考えた。映画は全て横フレだ。

アサガオを縦フレで撮ってみた。花の数は奇数にすべきだったのかもしれないな。生け花でも2輪ざしにはない。どうも考えてしまって、感性で撮ることが出来ない。

さてアサガオから建築の話へ。
建築生産の現場ではプレハブ化が進んでいて、予め工場で生産された部品を現場に運んで組み立てるということが多い。今後更にその傾向は強くなるだろう。この場合、輸送効率をアップすることが重要なテーマだ。そのためには部品を出来るだけコンパクトに納めることがポイントとなる。
また、人工衛星でも太陽電池などの内容物をいかに「コンパクトに折りたたむ」かが重要な課題だ。

ここでアサガオ再登場。写真につぼみを写し込んだ。
むかし子どもに付き合って夜中から明け方までアサガオの開花の様子を観察したことがある。(アサガオって夜中の2時頃から咲き始める。朝になってパッと咲くわけではない)
ビデオに撮って開花した状態からつぼみの状態へと逆再生すればきっと感動するだろう、これ以上のたたみ方などあり得ない! と。実にうまく出来ている。

人間の考えることなど自然には到底、敵わない。もっともっと自然に学ぶことが必要だ。

子ども達が自然を相手に遊ばなくなって久しい。
テレビやネットから知識を得ることも必要だろう。でもその前に自然を相手に遊んで、いっぱい「!」と「?」を見つけて欲しい。そこから自然のもつ合理性が見えてきたらすばらしい。

夏休み、ラジオ体操に向かう子ども達を今朝もアサガオが見ていた。


ざらざら

2006-08-06 | A 読書日記



ばらく藤森さんしている間に書店には川上弘美さんの新刊が平積みされていました。『ざらざら』マガジンハウス。
雑誌「クウネル」連載の20篇他を集めた短篇集。色んな恋愛模様。

「クウネル」に川上さんの短編が載ってますよ、知人からそう教えてもらって、ときどき書店で立ち読みをしていました。の雑誌は女性誌、ちょっとためらいながらも。

カバーの薄いクリーム色はこの作家のイメージカラーだと、勝手に決めています。『夜の公園』は、やはり夜をイメージしたのでしょうか、他の本の装丁とは雰囲気が違います。装丁だけではなくて作品の雰囲気もこれまでとは違う、と話題になりました。あの独特の「ふわふわ」感が薄らいで、なまなましいと。

『ざらざら』に収録されている「ときどき、きらいで」にははだかエプロンなどという、オジサン達(ここは断然複数!ミヤサカさんだけじゃない)憧れのシーンが登場しますが、なぜかなまなましくないのに・・・。

て、13日の「週刊ブックレビュー」には久しぶりに川上さんが登場してこの二作品について語ってくれると、番組のHPに出ています。これは注目。

ウネル21号の「海石」は久しぶりにカワカミワールドどまん中な作品。
カワカミワールドは広い世界なのだと理解すれば『夜の公園』だって頷けます。

注)ミヤサカさん:ラジオ番組「小沢昭一的こころ」に登場するオジサン

 


これで おしまい

2006-08-06 | A あれこれ

 ○1 神長官守矢史料館 ○2 同館 外壁 ○3 妻垂れ

今回で藤森さんのファンサイトはおしまい。

最後はやはりこの作品、デビュー作の神長官守矢史料館。
伝統的な民家には見られない不思議な形だが、何故か懐かしいと感じる。

妻垂れ(3)は諏訪地方の民家に見ることが出来る、妻壁を雨から保護する垂れ壁。藤森さんはこの妻垂れで史料館の外壁を覆った。サワラの手割の板を使っている。屋根は地元産の鉄平石を葺いた。写真では分からないが破風板の止め方はこの地方の古い民家のそれに倣っている。

「懐かしさ」の理由はこの辺にありそうだ。
藤森さんの作品は全てこの路線。
やはりデビュー作にはその後の作品の全てが詰まっている。

展示について(しおりから)
**神長官守矢が司る諏訪大社上社の祭祀のうちもっとも大がかりでかつ神秘的なのは御頭祭である。ここでは長期にわたるこの祭のピークをなす前宮十間廊で行われる「神と人との饗宴」の供物の一部を復元し展示している**
のだそうだ。

○4 内部展示の様子


コードペンダント

2006-08-05 | A あれこれ


  ○コードペンダント 松本市旧司祭館にて

部屋にはそれぞれデザインの異なるコードペンダントが下がっていました。
照明器具って部屋の雰囲気を決める重要なポイントだと思うのです。
天井直付けの照明で部屋を均一に明るくするだけでは、ちょっとさびしい。


建築探偵失格ですね。

2006-08-05 | A あれこれ


松本市旧司祭館 全景とサンルーム? 060805

 松本市旧司祭館、隣の開智学校に比べると注目度はかなり低いかも知れませんね。館内に入ってみたのは今回が初めてでした。

現在は玄関が南側になっています。そしてサンルーム(?)は北側。向きが建設当初とは違う?

建設された場所は案内看板によると、松本市丸の内九番三十二号。どこなのか、住宅地図で調べてみました。市役所の北側、カトリック松本教会が建っているところ。敷地の南側に道路があるので、玄関はやはり南側にあったと考えるのが妥当、だと思います。つまり洋館の向きは変わっていない。市の教育委員会にでも問い合わせるとはっきりすると思いますが、きょうはあいにく休み。

サンルームの内側に鎧(よろい)戸がついていますから(右の写真)、南面していたと考えてもおかしくありませんが(鎧戸は本来、直射日光を遮るためのもの)、この洋館には4面とも鎧戸がついています。ですから、鎧戸はこの洋館の向きを知る手がかりにはなりません。

この部屋の用途はサンルームだったのか? 
冬期間の冷気を防ぐ緩衝空間だった? 
単なる半屋外的な部屋として計画された?
 
答が解りません。
建築探偵失格ですね。


 


縄文建築 木に登る!

2006-08-05 | A あれこれ

 
高過庵 0608


 伊東豊雄さんは、小中学生時代を下諏訪で過ごした。毎日諏訪湖を眺めていたという(『透層する建築』青土社による)。霞んで輪郭のぼやけた諏訪湖。伊東さんの境界が曖昧で存在感の希薄な建築は原風景の諏訪湖のイメージを具現化したものなのかも知れない。

藤森照信さんは茅野に生まれ、茅野で育った方。諏訪湖より近くの野山の方が身近だったのかもしれない。樹上の茶室を目の当たりにしてそう思った。少しも違和感なく風景に馴染んでいた。

樹上の茶室は既に4作あるという。先日紹介した新建築の表紙の「茶室 徹」はその4作目の作品だが、1作目の作品がこの「高過庵」だ。この茶室も以前雑誌で紹介された。伊東さんと藤森さんがこの茶室から顔を覗かせている写真が印象的だった。

是非一度訪ねて見たい、そう思っていたが、どこにあるのか分からなかった。確か藤森さんの実家の畑に造ったはずだが・・・。

先日、偶然「神長官守矢史料館」の近くにあるということが分かり、出掛けてみた。久しぶりに何枚も写真を撮った。写真の枚数と「感動」とは明らか比例する。

これは、毎日野山を駆け回って遊んだであろう藤森さんの原風景の建築的な表現に相違ない。「少年期に過ごした環境は、建築家の作風に少なからぬ影響を与える」のではないか。

伊東さんと藤森さん。ふたりの作風の違い、それはふたりの原風景の違いなのかもしれない。


 

 


ほんかく建築家って?

2006-08-03 | A 読書日記

 
ほんかく建築家

 ほんかく女優。ひらがなにしたことには理由(わけ)がある。本書く、本格女優。例えば室井滋さん。週刊文春に長いこと「すっぴん魂」を連載している。
このエッセイが好きで、単行本になるのを楽しみにしている。飾らない、まさにすっぴん魂な女優さんなんだな、と思う。何気ない日々の出来事をこの人がエッセイに書くと実にドラマチックになるから不思議だ。

本書く、本格建築家として黒川紀章と宮脇檀を以前このブログでとり上げた。藤森さんは日本の近代建築史が専門の大学教授だから「本書く」は当たり前。最近「本格」建築家への仲間入りを果たしたから、ほんかく建築家のひとりとなった。個性的な建築設計もうまいし、文章もなかなかうまいな、と思う。

『アール・デコの館』ちくま文庫、旧朝香宮邸 (現東京都庭園美術館)アール・デコという短命だった建築様式について簡潔に論じている。序文は秀逸な文章だと思う。

**親のように、妖しくうねる曲線に身をまかすわけでもなく、また、子のように、冷たい幾何学造形にとび込むのでもない。曲線と直線が混じりあい、メタリックな光沢の奥に、妖しい光がほのかににじむ、そんな矛盾がアール・デコの生命。**

(注)親:アール・ヌーヴォー 子:モダニズム

本文でも**アール・ヌーボーからアール・デコへ、という近代の装飾デザインの流れとは、実は、植物的な造形から鉱物的な造形への変化に他ならない、といって大過ないであろう。** と書いている。近代建築史をキッチリ押えた方が一般読者を対象に書いたものだから、ここまで明快に説明できるのだろう。

増田彰久氏の写真もいい。このアングルしかない、このフレーミングしかないと思わせる写真が何カットも掲載されていて勉強になる。

『建築探偵、本を伐る』晶文社 週刊朝日などに掲載した書評をまとめた本。ずばり『芝棟』という本の書評も収録されている。**茅葺屋根の最大の弱点である棟を芝草の根の張りで固め、雨が通らず、かつ風で吹き飛ばされないようにする工夫だという。** と、亘理(わたり)俊次という植物学者の説明を紹介している。

『日本の近代建築』岩波新書はやや硬質な文体で書いている。論文をベースにしたものだろう。昔の写真をよく集めたものだと関心してしまう。

この本を読むと、そうか藤森さんは近代建築史が専門の大学教授なんだと納得する。「藤森教授、ユーモラスな作品や本を楽しみにしています」

今週は藤森さんのファンサイト。




 


縄文住居も芝棟だった

2006-08-02 | A あれこれ

 

 
出展:IPA「教育用画像素材集サイト」

 昨晩はシンデレラタイム(夜12時)過ぎまで「芝棟」について調べていた。藤森照信さんの『天下無双の建築学入門』ちくま新書には、帯(写真参照)で分かるように芝棟に関する記述がある。

**なんでテッペンに草を植えるかについては、棟の位置は馬の背のように茅が両側に分かれるので、草の根の力でしっかり固めるため、という説があるが、ユリやニラにそんな効果があるとも思えないし、だいいちもっと簡単な方法がいくらでもなされているではないか。**

私が書いたことをあっさり否定する文章だ。これには参った。安藤邦廣さんは『茅葺の民俗学 生活技術としての民家』はる書房で**芝棟は野芝の生えた土の重みでおさえると同時に芝の根が棟にからみつくことで棟を固定するという数多い棟仕舞の中でも最も野趣溢れる特異な棟仕舞である。**と書いている。これで安堵した。この本については改めて書きたいと思う。

ところで昨晩青森県立美術館について書いたが、隣接する三内丸山遺跡の復元住居(写真下)の棟に注目。芝棟だ。機能的にそれ程意味のないことがこんなに昔から今日まで伝わるだろうか・・・。単なる飾りとは到底思えない。やはりここは安藤さんの見解に分がありそうだ。

芝棟も最近はほとんど無くなってしまったが、こんな記述のあるサイトを見つけた。**青森県三戸郡新郷村は、十和田湖に隣接し、深山を背景にして里山から集落につながる自然環境に恵まれた地域であり、現在では、国内でも南部地方のみにまとまって見られる「芝棟(しばむね)」という棟仕舞様式が残る豊かな農山村です。**

またしても青森県! これはもう青森県に出かけるしかない、でも遠い。昔はフットワークがよかったのにな・・・。 


 


行ってみたいな青森県

2006-08-01 | A あれこれ

 哀しみ本線日本海で、津軽海峡 冬景色を見に出掛けたい。そう、演歌な冬の旅がしたいと、ときどき思う。荒涼とした冬の海を窓外に眺めながら北へ向かう・・・。こんなとき列車の中でちびりちびり飲むのは日本酒。冬の津軽、いいだろうなと憧れる。別に太宰のファンでも何でもないが。

ところで津軽といえば青森県に先日「青森県立美術館」が開館した。「新日曜美術館」でも紹介されたし、友人のブログでも読んだ。設計者はコンペで選ばれた青木淳さん。400案近くの応募があって話題になったのが確か6年前だった。

友人の文章から美術館の感想のキーワードを拾う。
「閉塞感」と「真っ白」。この美術館のコンセプトに繋がる言葉だ。

設計者の青木さんは、隣の三内丸山遺跡の発掘のための掘削溝、「トレンチ」
から想を得たそうだし、彼のめざした空間は抽象的でシンプルな「ホワイト
キューブ」だという。

奈良美智さんは自作の「あおもり犬」について、「新日曜美術館」で発掘途中の犬なのだと説明していた。足がまだ一部埋まったままだった。名前が平凡、「なら犬」とでもつけて関係者を慌てさせてもよかったのに。

開館記念展はシャガール。アメリカ亡命中に制作した、バレエの巨大な背景画「アレコ」の展示作業の様子もこの番組で紹介された。

どうやら私と同級だったブロガーさんはこの美術館にあまりいい印象を抱かなかったようだ。確かにあおもり犬の展示空間に違和感を覚えるのも頷ける、テレビでの印象だが私もそう思った。このところ地方で大きなプロジェクトが少ないこともあってか、かなり話題の建築ではある。

百聞は一見にしかず。♪行って見たいなよその国、じゃなくて冬の青森へ。

実は今週は藤森さんシリーズにしようかと思っていた。調べてみると、この美術館のコンペの審査委員長は伊東豊雄さん、委員に藤森照信さんの名前もあった!