和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

けっこう手抜きをしても、一応はそれらしく書くことができる。

2006-10-11 | Weblog
第五回小林秀雄賞決定発表。
というのが、雑誌「考える人」(2006年秋号)に掲載されておりました。
受賞は、荒川洋治著「文芸時評という感想」(四月社)。
とてものこと、受賞本を私は読まないのですけれど、
その雑誌に掲載された「選評」が楽しかったのです。
まずは加藤典洋さんの選評のはじまり、
「文芸時評というものは、やってみるとよくわかるけれども、そんなに小説が読めなくとも、またけっこう手抜きをしても、一応はそれらしく書くことができる表現のジャンルである。でも、長く続けていると、けっきょくは嘘がつけない。その人のすべてが現れてしまう。そういう油断のならないジャンルでもあるような気がする。」

どうやら、「長く続けて」というのがキーワードのようですね。
養老孟司さんの選評は、こう始まります。
「よくもこれだけ長いあいだ、文芸時評なるものを書き続けたものだ。それがまず第一の印象である。その辛抱に敬意を表する」

「長く続けて」と「その辛抱に敬意」というのが選評でした。
ちなみに、関川夏央さんの選評には
「二年も書けば疲労困憊して、しかるに報われること少ない。それを十二年、さぞ体と心に悪かろう。しかし読まねばならない。風呂場で晩夏の冷水をかぶって読んだ。驚いた。しみじみとおもしろかった」とあり、
「文学は、世間話であっていい」というのが印象に残る言葉でした。

ところで、荒川洋治氏の文章の独特さを語っておもしろかったのは、
堀江敏幸さんの選評でした。
「氏の方位磁石は、他で見かけるものとかなりちがっている。なにを読み、なにを味わい、なにを言うのか。どこまでを言葉にして、どこから言葉でない言葉にするのか。その基準となる南北線じたいが微妙にずれているように見えるし、磁石をとり出して方位をたしかめる間合いが独特だから、こんなところでなぜ立ち止まるのかと、こちらが不安になることさえある・・」
ここから褒め言葉へとつながるのですが、その途中の方がおもしろかったので引用しました。そのままに、なにやら現代詩の解説となっている感を抱く。そんなおもしろさを感じました。

ちなみに、4頁ほどの荒川洋治さんへのインタビューが載っていて、
楽しい言葉が拾えました。
「文芸誌が家に届くのが毎月六日あたり。〆切は月によって違いますが、二十三、四日。その十日前くらいから読み始める。連載をのぞいて、全作品を読みます。目次をまず眺めて、ああ、今月はこんな感じかと思う。そして、お名前を出すとなんですが、三浦哲郎さんや河野多恵子さんのような大家が短篇の一つも書いていらっしゃると、今月は救われたなと(笑)。お二人のほかには、そうですね、先日亡くなった吉村昭さん。吉村さんが文芸誌でお書きになる作品は、いい味わいがあった。ほかにこれぞというものがなかったとしても、三浦さんや河野さん、吉村さんなどの作品があれば、ほっとするんですね。読まずして、もう大丈夫と思う。あまり言ってはいけないことかもしれないけれど」

この「あまり言ってはいけないこと」が語られる魅力。
それにしては、2ページほどの受賞作抄録は、私にはつまらなかった。

それにしても、文芸時評本を書評(選評)しているというのが、
こうも楽しく読めるというのは困り者で、
本を読まずに書評(選評)を引用して終るという手抜きで
いちおうそれらしく書いた気分になるのでした。
これは、単なる書評じゃなく、選ぶという決定がおおきく関わるために
選評にも力がこもるからなのでしょうか?
さらには、小林秀雄賞という、看板が選者を奮い立たせるのでしょうか?
おかげで、読むほうも得した気分(笑)。
気懸りは、選者のお一人河合隼雄氏がいまだに入院中であること。

コメント
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