石原吉郎の詩集「禮節」の話をしたかった。
2006年の今年は「栗林忠道 硫黄島からの手紙」(文藝春秋)を読みました。
これは、戦争中の硫黄島から家族へと宛てた手紙を、順番に並べてあります。
それを読んで、私は石原吉郎の詩「世界がほろびる日に」を思い浮かべました。
世界がほろびる日に
かぜをひくな
ウィルスに気をつけろ
ベランダに
ふとんを干しておけ
ガスの元栓を忘れるな
電気釜は
八時に仕掛けておけ
栗林忠道は、硫黄島で昭和20年(1945年)3月26日に戦死(享年53)しております。
その昭和20年1月21日の手紙には遺書という言葉がありました。
「本土空襲の『B29』はサイパン基地に今百四、五十機であるが四月頃には二百四、五十機となり、年末頃には五百機位になるらしいから、それだけ今より空襲が多くなる訳です。若し又、私の居る島が攻め取られたりしたら其の上何百と云う敵機が更に増加することとなり、本土は今の何層倍かの烈しい空襲を受ける事になり、悪くすると敵は千葉県や神奈川県の海岸から上陸して東京近辺へ侵入して来るかも知れない。だから戦争の成行は絶えず注意し、又新聞や雑誌に出て居る空襲などの場合どうするかの記事はよく目を通し実行すべきは実行するがよい。
次に比島の作戦は漸次不利の様だし、吾々の方へももう直ぐに攻め寄せて来るかも知れないから、吾々ももう疾(と)っくに覚悟をきめている。留守宅としても生きて帰れるなどとはつゆ思わないで其の覚悟をして貰い度い。
遺書としては其の後の手紙で色々細かに書き送ってあるからイザとなっても驚いたり間誤(まご)ついたりせぬだろうと思うが、どうかほんとにしっかりして貰い度いものです。・・」
一方の石原吉郎は、シベリア抑留の後1953年に帰還しており。
その石原吉郎に「肉親へあてた手紙」というのがあります。
そこには「1959年10月」と日付がありました
(その手紙は、石原吉郎著「望郷と海」筑摩書房。あるいは、思潮社の現代詩文庫26「石原吉郎詩集」に載っております)。その手紙から、石原吉郎の戦後が始まっているのでした。
そういえば、詩集「禮節」には詩「世界がほろびる日に」の他に、詩「礼節」・「手紙」とあり、印象に残ります。
つい最近なのですが、柳田国男著「俳諧評釈」を読んでおりまして(まだ読み終わっていないのですが)、そのはしがきに「俳諧がかかる人間苦からの解脱であり、済度であつた時代を回顧して見なければならぬが、それよりも更に必要なことは是が現世の憂鬱を吹き散らすような、楽しい和やかな春の風となつて、もう一度天が下に流伝することであつて、私の今解して居る所では、それも決して不可能なこととは言はれない。・・・」ちなみにはしがきの日付は昭和22(1947)年春とあります。
その「最上川の歌仙」の箇所に
ことば論する舟の乗合 一栄
という句を柳田国男が解説して
「乗合は渡し舟、ことば論は今いふ口いさかひ、手までは振り上げない喧嘩である。・・・」
次に曾良の句がつづくのでした
雪みぞれ師走の市の名残とて
この解説で柳田さんは
「・・・通例いさかひとか戦とかいふ類の際立つた前句には、いそいで之を平静の状に引戻さねばならぬといふ感じが昔から有つたので、それがここにも暗々裡に作用して居るかと思ふ。つまりは是も次の句を出しやすくする一種の禮節であつた。」
ここに「禮節」という言葉がありました。
ここから、私は石原吉郎詩集「禮節」があることを連想したのでした。
ここに、詩集にある詩「礼節」を引用しておきます。
いまは死者がとむらうときだ
わるびれず死者におれたちが
とむらわれるときだ
とむらったつもりの
他界の水ぎわで
拝みうちにとむらわれる
それがおれたちの時代だ
だがなげくな
その逆縁の完璧において
目をあけたまま
つっ立ったまま
生きのびたおれたちの
それが礼節ではないか
これから上映される映画に硫黄島戦を描いたものがあるのだそうで、
テレビでもちらちらと宣伝しているのを見かけました。
産経新聞10月17日に「ロサンゼルス 松尾理也」という署名記事があり、
短い記事なのですがこうありました。
「第2次世界大戦末期の硫黄島での戦闘をテーマにした『父親たちの星条旗』(クリント・イーストウッド監督)が20日から全米公開される。・・日本側の視点から制作した『硫黄島からの手紙』(同監督)との<双子作品>。ハワイのホノルル・アドバタイザー紙は、試写会に参加した80歳の元海兵隊員を取り上げ『今でも硫黄島の夢をみて夜中に起きることがある』との言葉を紹介。CBSテレビは、監督が日本側の視点からの制作を行った意図を 『米国の観客に、「われわれはいい人間」といった単純な考え方から卒業してほしい、と思ったからだ』と指摘した。
『父親たちの星条旗』は今月28日から、
『硫黄島からの手紙』は12月9日から、日本で公開される。」
この映画「硫黄島からの手紙」はどのような内容になっているのでしょうね。
ここでは、石原吉郎の詩「手紙」を引用して終ります。
いわば未来をうしろ手にして
読み終えたその手紙を
五月の陽のひとかげりへ
かさねあわせては
さらに読み終えた
つたええぬものを
なおもつたえるかに
陽はその位置で
よこざまにあふれた
教訓のままかがやいてある
五月のひろごりの
そのみどりを
いちまいの大きさで
ふせぎながら
私は
その手紙を読み終えた
2006年の今年は「栗林忠道 硫黄島からの手紙」(文藝春秋)を読みました。
これは、戦争中の硫黄島から家族へと宛てた手紙を、順番に並べてあります。
それを読んで、私は石原吉郎の詩「世界がほろびる日に」を思い浮かべました。
世界がほろびる日に
かぜをひくな
ウィルスに気をつけろ
ベランダに
ふとんを干しておけ
ガスの元栓を忘れるな
電気釜は
八時に仕掛けておけ
栗林忠道は、硫黄島で昭和20年(1945年)3月26日に戦死(享年53)しております。
その昭和20年1月21日の手紙には遺書という言葉がありました。
「本土空襲の『B29』はサイパン基地に今百四、五十機であるが四月頃には二百四、五十機となり、年末頃には五百機位になるらしいから、それだけ今より空襲が多くなる訳です。若し又、私の居る島が攻め取られたりしたら其の上何百と云う敵機が更に増加することとなり、本土は今の何層倍かの烈しい空襲を受ける事になり、悪くすると敵は千葉県や神奈川県の海岸から上陸して東京近辺へ侵入して来るかも知れない。だから戦争の成行は絶えず注意し、又新聞や雑誌に出て居る空襲などの場合どうするかの記事はよく目を通し実行すべきは実行するがよい。
次に比島の作戦は漸次不利の様だし、吾々の方へももう直ぐに攻め寄せて来るかも知れないから、吾々ももう疾(と)っくに覚悟をきめている。留守宅としても生きて帰れるなどとはつゆ思わないで其の覚悟をして貰い度い。
遺書としては其の後の手紙で色々細かに書き送ってあるからイザとなっても驚いたり間誤(まご)ついたりせぬだろうと思うが、どうかほんとにしっかりして貰い度いものです。・・」
一方の石原吉郎は、シベリア抑留の後1953年に帰還しており。
その石原吉郎に「肉親へあてた手紙」というのがあります。
そこには「1959年10月」と日付がありました
(その手紙は、石原吉郎著「望郷と海」筑摩書房。あるいは、思潮社の現代詩文庫26「石原吉郎詩集」に載っております)。その手紙から、石原吉郎の戦後が始まっているのでした。
そういえば、詩集「禮節」には詩「世界がほろびる日に」の他に、詩「礼節」・「手紙」とあり、印象に残ります。
つい最近なのですが、柳田国男著「俳諧評釈」を読んでおりまして(まだ読み終わっていないのですが)、そのはしがきに「俳諧がかかる人間苦からの解脱であり、済度であつた時代を回顧して見なければならぬが、それよりも更に必要なことは是が現世の憂鬱を吹き散らすような、楽しい和やかな春の風となつて、もう一度天が下に流伝することであつて、私の今解して居る所では、それも決して不可能なこととは言はれない。・・・」ちなみにはしがきの日付は昭和22(1947)年春とあります。
その「最上川の歌仙」の箇所に
ことば論する舟の乗合 一栄
という句を柳田国男が解説して
「乗合は渡し舟、ことば論は今いふ口いさかひ、手までは振り上げない喧嘩である。・・・」
次に曾良の句がつづくのでした
雪みぞれ師走の市の名残とて
この解説で柳田さんは
「・・・通例いさかひとか戦とかいふ類の際立つた前句には、いそいで之を平静の状に引戻さねばならぬといふ感じが昔から有つたので、それがここにも暗々裡に作用して居るかと思ふ。つまりは是も次の句を出しやすくする一種の禮節であつた。」
ここに「禮節」という言葉がありました。
ここから、私は石原吉郎詩集「禮節」があることを連想したのでした。
ここに、詩集にある詩「礼節」を引用しておきます。
いまは死者がとむらうときだ
わるびれず死者におれたちが
とむらわれるときだ
とむらったつもりの
他界の水ぎわで
拝みうちにとむらわれる
それがおれたちの時代だ
だがなげくな
その逆縁の完璧において
目をあけたまま
つっ立ったまま
生きのびたおれたちの
それが礼節ではないか
これから上映される映画に硫黄島戦を描いたものがあるのだそうで、
テレビでもちらちらと宣伝しているのを見かけました。
産経新聞10月17日に「ロサンゼルス 松尾理也」という署名記事があり、
短い記事なのですがこうありました。
「第2次世界大戦末期の硫黄島での戦闘をテーマにした『父親たちの星条旗』(クリント・イーストウッド監督)が20日から全米公開される。・・日本側の視点から制作した『硫黄島からの手紙』(同監督)との<双子作品>。ハワイのホノルル・アドバタイザー紙は、試写会に参加した80歳の元海兵隊員を取り上げ『今でも硫黄島の夢をみて夜中に起きることがある』との言葉を紹介。CBSテレビは、監督が日本側の視点からの制作を行った意図を 『米国の観客に、「われわれはいい人間」といった単純な考え方から卒業してほしい、と思ったからだ』と指摘した。
『父親たちの星条旗』は今月28日から、
『硫黄島からの手紙』は12月9日から、日本で公開される。」
この映画「硫黄島からの手紙」はどのような内容になっているのでしょうね。
ここでは、石原吉郎の詩「手紙」を引用して終ります。
いわば未来をうしろ手にして
読み終えたその手紙を
五月の陽のひとかげりへ
かさねあわせては
さらに読み終えた
つたええぬものを
なおもつたえるかに
陽はその位置で
よこざまにあふれた
教訓のままかがやいてある
五月のひろごりの
そのみどりを
いちまいの大きさで
ふせぎながら
私は
その手紙を読み終えた