和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

漱石のモーニング。

2006-10-25 | Weblog
森銑三著「新編明治人物夜話」(岩波文庫)に
「S先生と書物」という文があります。
「S先生は、漢学界切っての蔵書家だった・・」と始まるのでした。
その先生は中等学校の漢文の教師で、五十を過ぎてから、推薦によって、某大学の教授となりました。ところが、月給をことごとに購書費にしてしまうので「式の日に着て出る礼服などは持っていられない。式の当日には、本日は腹痛につき云々という届を出して、一日家で読書に耽るのを常とした」とあります。
そういえば、この「明治人物夜話」の最初の文は「明治天皇の軍服」とあり、服の話から始まっておりました。
「明治天皇は、『わし一代は日本趣味で通す』と仰せられたそうである。そうした天皇だったから、洋服を御召しになることなどは、さぞかしおいやだったろうと拝察せられるが、大元帥として、どうでも着なければならぬと、一旦御覚悟になると、今度はまた、夏でも冬でも、軍服で御通しになって・・」と始まります。
「伊藤博文が、何かの場合に、和服で御前に出たら、『伊藤は、わしに洋服を着せて、自分は和服を着るのか』と仰せられた。伊藤は恐懼して一言も申上げず、ただ頭を低く垂れて引下った」と続きます。
ちなみに二番目の文は「海舟邸の玄関」と題して、明治20年でも、その玄関には「左右に高張堤燈を立てていたことを書きながら、森銑三氏はこう書き記しておりました
「海舟は夙(つと)に蘭学を修め、幕末に既にアメリカへも渡航している人である。当時としては、新知識の一人だったのであるが、それでいて少しも西洋かぶれしていない。国内には欧化の風が吹きまくっていたのに、かえって旧式な、時代遅れともいうべき生活をしている。・・・」
そして海舟の居間の図という絵を紹介するなかに「普段着らしい和服の海舟が」という姿で描かれているとして、「海舟書屋」という額とともに部屋の様子を語り示しておりました。

ここらで、漱石の話。
出久根達郎著「漱石先生の手紙」(NHK出版)に
狩野亨吉が出てきます。
「狩野の談話『漱石君と私』(「漱石全集」昭和3年版月報)によると、『小説などといふものは少しも解さないものと思つて、『君は、小説などはわからないだろうから、僕が著書などを出しても、一冊もくれないといふ風であつた』とあります。・・・」
この談話は、「明治人物夜話」を読むと、ちょっとニュアンスが違ってきます。
森銑三氏は「(狩野)先生と対座していると、こちらも気持ちがゆっくりして、いいたいことが何でもいわれるのが愉快だった」として、いろいろな話を紹介しておりますが、その話のなかに漱石が出てきます。
「親友の漱石がどのような小説を書いているのか、そんなことには、全く無関心だった。『いつか、何とかいう小説を漱石がくれて、この中には君も出て来るから読め、というものだから目を通したが、どれが僕やら分らなかったよ』などと、のんきなことをいって、澄ましていられた。」(p362)とあります。
どうやら、この贈呈本が、梨のつぶてだったので、短気な漱石さんは以降、本を一冊もくれなくなったという推測がなりたちます。そこいらが、真相のような気がします。

さて「漱石のモーニング」の話にうつります。
夏目漱石は明治26年7月10日に東京帝国大学文科大学英文学科を卒業しております。
そこで学習院の先生の口を世話してくれる知人があらわれます。
以降は直接漱石さんに語っていただきましよう。
漱石は、その死の二年前(大正三年)、学習院の学生に向かって講演をしております。
「私の個人主義」という講演でした。そこにモーニングが登場します。

「・・学習院の教師になろうとした事があるのです。もっとも自分で運動した訳でもないのですが、この学校にいた知人が私を推薦してくれたのです。・・とにかく、どこかへ潜り込む必要があったので、ついこの知人のいう通りこの学校へ向けて運動を開始した次第であります。その時分私の敵が一人ありました。しかし私の知人は私に向ってしきりに大丈夫らしい事をいうので、私の方でも、もう任命されたような気分になって、先生はどんな着物を着なければならないのかなどと訊いて見たものです。するとその男はモーニングでなくては教場へ出られないと云いますから、私はまだ事の極らない先に、モーニングを誂(あつ)らえてしまったのです。その癖学習院とは何処にある学校かよく知らなかったのだから、すこぶる変なものです。さていよいよモーニングが出来上がって見ると、あにはからんや折角頼みにしていた学習院の方は落第と事が極ったのです。」「私は学習院は落第したが、モーニング丈は着ていました。それより外に着るべき洋服は持っていなかったのだから仕方がありません。そのモーニングを着て何処へ行ったと思いますか?・・・」

ちなみに江藤淳に「SFCと漱石と私」という講演がありました。
慶応義塾大学最終講義とあります。雑誌「Voice」1997年4月号に載たのです。
その江藤淳の最終講義と、夏目漱石の「私の個人主義」とは読み比べると楽しめるような気がいたします。
もうひとつ。
出久根達郎著「漱石先生の手紙」は感銘して読みました。
それと同じ頃に出た講談社文芸文庫「漱石人生論集」は、解説を出久根達郎さんがしております。「漱石先生の手紙」と続けて読むと興味深いものがあります。ちなみにその文庫に「私の個人主義」の講演もちゃんと収まっておりました。




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