「4月8日は、花祭りである。」
と司馬遼太郎著「風塵抄」にでてくるのでした。
そこをちょっと引用してみます。
「仏教の始祖であるお釈迦さんの誕生日を祝う行事で、とりどりの花でかざった小さな御堂(花御堂)に誕生仏を安置し、甘茶を灌(そそ)ぎかける。そういうところから、潅仏会(かんぶつえ)ともいい、また仏生会(ぶつしょうえ)ともよばれた。タイなどでは、さかんに祝われるのである。日本はふしぎな国で、キリスト誕生(クリスマス)については世間がにぎわうが、釈迦がうまれた日についての関心はうすい。花祭ということばさえ知らないこどもが多いのではないか。」
以上は風塵抄の「花祭」と題した文にあります。
その文の最後は「以上、花にちなみ・・・さらには日本思想史にとって重要な釈迦の花祭を前にして。 1990(平成2)年4月3日」
これについて、私に思い浮んでくるのは、司馬遼太郎著「街道をゆく 39」の「ニューヨーク散歩」でした。ドナルド・キーン教授や角田柳作先生と題された文が並んでいるので読んだのでした。その本の最後に「さまざまな人達」という文があります。「・・・ハロウィーンで、日本の少年が、殺された。被害者はルイジアナ州の田舎の高校に、名古屋の県立旭丘高校から留学していた服部剛丈(よしひろ)君(16)で、お勉強ずきであかるくてアメリカが大好きな少年だった。その夜、アメリカ人の友達に案内され、ハロウィーンのパーティ会場(知人宅)へ向かっていて、たまたま番地の似た別の家の庭に入った。二人ともべつに、異様なかっこうはしていなかった。その家の当主のピアーズという三十歳の男が、普通の市民があまりもたない大口径の拳銃をかまえ、やくざか警官しかつかわないことばで、動くな(フリーズ)と叫んだ。それでもなお剛丈君はあふれるような善意でもって近づいた。そのとたんピアーズは、少年の心臓を一発でうちぬいた。アメリカの憲法は市民の銃砲の所持をみとめているし、ルイジアナ州の州法は『侵入者を撃ち殺してもいい』としている。ピアーズの行為はそういう法知識があってのことである。つまり、ピアーズは法としての合衆国そのものだといえる。」
そして、司馬さんは最後に、その続きを書いておりました。
「が、もっとも悲しみの深かった剛丈君の父服部政一氏は、母親の美恵子さんとともに、べつな表現をとった。政一氏は、名古屋在住の機械技師である。この夫婦は、『アメリカの家庭から銃の撤去を求める請願書』を書き、ひろく署名を求めた。ピアーズへの憎悪を、みごとな理性に変えたといっていい。八十万人の署名を得てアマコスト駐日大使に手わたしたのは、世界の未来についてのどういう思想よりも思想的であった。人間へのさまざまな思いとともに、ニューヨーク散歩を終える。」
学校ではとりあげられない花祭と、小学校でも英語の授業で取り上げられるハロウィーンと。「4月8日は、花祭りである。」
と司馬遼太郎著「風塵抄」にでてくるのでした。
そこをちょっと引用してみます。
「仏教の始祖であるお釈迦さんの誕生日を祝う行事で、とりどりの花でかざった小さな御堂(花御堂)に誕生仏を安置し、甘茶を灌(そそ)ぎかける。そういうところから、潅仏会(かんぶつえ)ともいい、また仏生会(ぶつしょうえ)ともよばれた。タイなどでは、さかんに祝われるのである。日本はふしぎな国で、キリスト誕生(クリスマス)については世間がにぎわうが、釈迦がうまれた日についての関心はうすい。花祭ということばさえ知らないこどもが多いのではないか。」
以上は風塵抄の「花祭」と題した文にあります。
その文の最後は「以上、花にちなみ・・・さらには日本思想史にとって重要な釈迦の花祭を前にして。 1990(平成2)年4月3日」
これについて、私に思い浮んでくるのは、司馬遼太郎著「街道をゆく 39」の「ニューヨーク散歩」でした。ドナルド・キーン教授や角田柳作先生と題された文が並んでいるので読んだのでした。その本の最後に「さまざまな人達」という文があります。「・・・ハロウィーンで、日本の少年が、殺された。被害者はルイジアナ州の田舎の高校に、名古屋の県立旭丘高校から留学していた服部剛丈(よしひろ)君(16)で、お勉強ずきであかるくてアメリカが大好きな少年だった。その夜、アメリカ人の友達に案内され、ハロウィーンのパーティ会場(知人宅)へ向かっていて、たまたま番地の似た別の家の庭に入った。二人ともべつに、異様なかっこうはしていなかった。その家の当主のピアーズという三十歳の男が、普通の市民があまりもたない大口径の拳銃をかまえ、やくざか警官しかつかわないことばで、動くな(フリーズ)と叫んだ。それでもなお剛丈君はあふれるような善意でもって近づいた。そのとたんピアーズは、少年の心臓を一発でうちぬいた。アメリカの憲法は市民の銃砲の所持をみとめているし、ルイジアナ州の州法は『侵入者を撃ち殺してもいい』としている。ピアーズの行為はそういう法知識があってのことである。つまり、ピアーズは法としての合衆国そのものだといえる。」
そして、司馬さんは最後に、その続きを書いておりました。
「が、もっとも悲しみの深かった剛丈君の父服部政一氏は、母親の美恵子さんとともに、べつな表現をとった。政一氏は、名古屋在住の機械技師である。この夫婦は、『アメリカの家庭から銃の撤去を求める請願書』を書き、ひろく署名を求めた。ピアーズへの憎悪を、みごとな理性に変えたといっていい。八十万人の署名を得てアマコスト駐日大使に手わたしたのは、世界の未来についてのどういう思想よりも思想的であった。人間へのさまざまな思いとともに、ニューヨーク散歩を終える。」
学校ではとりあげられない花祭と、小学校でも英語の授業で取り上げられるハロウィーンと。「4月8日は、花祭りである。」