「季」2012年秋・97号の
杉山平一追悼号に
木股初美さんが「父と暮らせば」と題して書いておりました。
「父がこの世を去ってしまった」とはじまっております。
そこから10行あとに、
「・・私を最も悩ませたのは、父が毎日楽しみしていた郵便物。本や雑誌がどんどん狭い部屋に積み重なっていくので、私がたびたび不満を漏らしていたが、父が亡くなってから急に本が来なくなってしまった。『何も来ないと寂しいものだよ』と言っていた父の言葉を思い出す。かつて破産宣告を受けた時、手紙や年賀状まですべてが止められて何も届かなかった正月の寂しさを、後年父は何度も語っていたのだった。・・」
手紙といえば、ちょうどひらいている
「ミラボー橋」にあるところの「動かぬ星」に
こんな箇所がありました。
「永い間誰からも手紙が来ず、返事も来ず、うなだれてある夜帰つてきた彼は、入口の郵便函に白い一枚の手紙が入つてゐるのを見つけた。誰から、どこからきた手紙だろう。しばらく空想をたのしむやうにゆつくりして、彼は手をのばした。そしてそのまま立ちすくんでしまつた。それは手紙ではなかつた。函の入口から洩れる白い月光なのであつた。見上げると澄んだ月が、淡い雲の間を走つてゐた。ふつと目頭があつくなつた。なさけないよりも、その天上の手紙が彼を感動的にしたのであつた。」(p137・杉山平一全詩集下巻・編集工房ノア)
杉山平一追悼号に
木股初美さんが「父と暮らせば」と題して書いておりました。
「父がこの世を去ってしまった」とはじまっております。
そこから10行あとに、
「・・私を最も悩ませたのは、父が毎日楽しみしていた郵便物。本や雑誌がどんどん狭い部屋に積み重なっていくので、私がたびたび不満を漏らしていたが、父が亡くなってから急に本が来なくなってしまった。『何も来ないと寂しいものだよ』と言っていた父の言葉を思い出す。かつて破産宣告を受けた時、手紙や年賀状まですべてが止められて何も届かなかった正月の寂しさを、後年父は何度も語っていたのだった。・・」
手紙といえば、ちょうどひらいている
「ミラボー橋」にあるところの「動かぬ星」に
こんな箇所がありました。
「永い間誰からも手紙が来ず、返事も来ず、うなだれてある夜帰つてきた彼は、入口の郵便函に白い一枚の手紙が入つてゐるのを見つけた。誰から、どこからきた手紙だろう。しばらく空想をたのしむやうにゆつくりして、彼は手をのばした。そしてそのまま立ちすくんでしまつた。それは手紙ではなかつた。函の入口から洩れる白い月光なのであつた。見上げると澄んだ月が、淡い雲の間を走つてゐた。ふつと目頭があつくなつた。なさけないよりも、その天上の手紙が彼を感動的にしたのであつた。」(p137・杉山平一全詩集下巻・編集工房ノア)