杉山平一詩集「ミラボー橋」の
あとがきが印象に残ります。
「・・私は詩を書いてゐたが、詩集『夜学生』を出したあと、詩がどうあるべきかを考へるにつれ、私は詩をつくるために自らをひどくゆがめなければならないのに次第にくるしくなつてきた。そして自分が最も素直に自分であるために、これら数々の散文を試みてみた。だが更にこれを小説にするためには、やはりまた姿勢をまげねばならないのを感ずる。・・・・
この本が詩集であるか、エッセイ集であるか、小説集であるかを私はあまり気にしない。ただ私の独自のものであるかどうかを心配してゐる。・・・・
昭和27年6月 」
あとがきが印象に残ります。
「・・私は詩を書いてゐたが、詩集『夜学生』を出したあと、詩がどうあるべきかを考へるにつれ、私は詩をつくるために自らをひどくゆがめなければならないのに次第にくるしくなつてきた。そして自分が最も素直に自分であるために、これら数々の散文を試みてみた。だが更にこれを小説にするためには、やはりまた姿勢をまげねばならないのを感ずる。・・・・
この本が詩集であるか、エッセイ集であるか、小説集であるかを私はあまり気にしない。ただ私の独自のものであるかどうかを心配してゐる。・・・・
昭和27年6月 」