和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

書庫の整理。

2013-08-06 | 短文紹介
平川祐弘著「竹山道雄と昭和の時代」(藤原書店)に

「ドイツ文学者と呼ばれた竹山の書庫を整理していて英文冊子・・を発見した時は意外な感がした。」という箇所がありますので、以下それを引用していきます。うん。この文は、いままでに活字化されていない文らしいのでした。

それは「1955(昭和30)年2月、戦後初めての海外出張であるビルマで文化自由会議・・によって招集された会合で行なった英語講演が一冊子になっていた。それが竹山の日本語文章と同様、才智と示唆に富んで、読んですこぶる面白いのである。・・・もっとも竹山もこの『共産主義と日本の知識人』は第一回目の海外英語講演であったからとくに念入りに文章を練ったのかもしれない。・・・」(p345)

ということで、せっかくですから、この英語講演の引用箇所からすこしとりあげてみます。

「いまや日本には言論の自由がありますから、
反米主義は吹きまくっています。
アンチ・アメリカニズムを
唱えることはまったく安全なのですよ。
なんとかいってもアメリカは罰しはしないから。
それに権威に反抗することはすこぶる恰好がいい。
ヒロイズムにはもってこいですね。
しかし共産主義反対を唱えるのはリスクがあります。
共産主義者が天下をとれば
処刑されるかもしれませんから。
それに反共を唱えれば反動のレッテルが貼られます。
これはインテリにとっては是非とも避けたい言葉です。
というわけで反米主義は完全に自由ですが、
反共主義はそうはいかない。
それだから人々が『ヒロイック』な
時流に迎合するコースに乗るとしても
別に驚くにはあたりません。
これは絶対安全なのですから。
そしてそれが正しい道だと
本人も信じこむようになるのですから。」

こう講演冊子を引用した平川氏は、
つぎに、こう指摘しております。

「ここでアメリカ人は『That’s hard for us to understand.』と答える会話になっているが、私たち日本人には竹山が言及した日本知識人の心理状態はたやすく了解される。竹山は、万一の場合、全体主義に反対する一方の旗頭と目されている自分に待ち構えている運命がなにであるかを承知している。それを承知しながらも、それでも文筆活動を続けたのは、『ビルマの竪琴』を書いて教え子の霊を弔った者としての、知識人の責務を自覚していたからだろう。」(p347)


ろくに「竹山道雄著作集」を読んでもいないのに、
そこにも、掲載されていない言葉を読めるのは、
何よりも、理解の助けになり、ありがたいなあ。
それにしても、書庫の整理をして、
そこでの発見を伝えていただけるありがたさ。
ということで、
「竹山道雄と昭和の時代」は
絶好の水先案内人を得たよろこびを味わる一冊。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする