WiLL10月号を読む。
月刊誌は、これ一冊でいいや。
と、このごろの私は思う。
さてっと、その書評欄。
「石井英夫の今月この一冊」は
小川榮太郎著「国家の命運」(幻冬舎)をとりあげておりました。
そこに、こんな箇所が
「安倍は、一度、地獄を見た男だった。
辞め方のダメージはあまりにも大きく、
政治生命を言うなら一度は完全に死んだ身である。
その政治家を自民党総裁目指して再起させようと
画策したキーパーソンは、
政治評論家の三宅久之だった。
そして三宅を中心に、
金美齢、平川祐弘、すぎやまこういち、
長谷川三千子、故米長邦雄ら
政界のソトにいた民間人たちが
安倍担ぎに動き出す。
その秘話が生々と語られているのが、
まことに興味深い。」(p135)
とある箇所に、興味を惹かれました。
あれ、ここに平川祐弘氏の名前が登場している。
小川榮太郎氏は文芸評論家とあります。
「国家の命運」(幻冬舎)の最後に「謝辞」として4頁ほどの文があります。
そこからも引用。
「前著に続く『安倍礼賛本』を出したことで、私は、特定の政治家を持ち上げる御用文士という世評が定着することになるのであろうか。それも面白かろう。言い訳はしない。
だが、私の目に映じる安倍晋三氏は、依然として、権力を謳歌する時の人ではなく、日本を本当に取り戻すために勝算に乏しい戦いを進める、政治というフィールドの孤独な藝術家だ。氏の仕事の孤独な性質は、私の本来の主題であるベートーベン、ヴァグナー、フルトヴェングラー、あるいは川端康成、小林秀雄、三島由紀夫ら、近代藝術の天才たちの、悲惨と栄光とさして変わらない。だから私は安倍氏にこだわるのである。
勿論、私の礼賛に対して、手厳しい批判が出現することは望むところだ。これだけ強い政治的個性に、強烈なアンチが出現しないのはおかしい。憲法改正や靖国、歴史認識、アベノミクスに対する、朝日新聞、毎日新聞、岩波文化人レベルの知能指数の低い言いがかりではなく、充分説得的で重厚精緻な批判の出現は、間違いなく日本の政治の成熟の里程標になる。」(p259~260)
本文は、前回の著書「約束の日」より、さらに読みやすくなっている感じをうけます。両方の著書を読めることのしあわせ。
月刊誌は、これ一冊でいいや。
と、このごろの私は思う。
さてっと、その書評欄。
「石井英夫の今月この一冊」は
小川榮太郎著「国家の命運」(幻冬舎)をとりあげておりました。
そこに、こんな箇所が
「安倍は、一度、地獄を見た男だった。
辞め方のダメージはあまりにも大きく、
政治生命を言うなら一度は完全に死んだ身である。
その政治家を自民党総裁目指して再起させようと
画策したキーパーソンは、
政治評論家の三宅久之だった。
そして三宅を中心に、
金美齢、平川祐弘、すぎやまこういち、
長谷川三千子、故米長邦雄ら
政界のソトにいた民間人たちが
安倍担ぎに動き出す。
その秘話が生々と語られているのが、
まことに興味深い。」(p135)
とある箇所に、興味を惹かれました。
あれ、ここに平川祐弘氏の名前が登場している。
小川榮太郎氏は文芸評論家とあります。
「国家の命運」(幻冬舎)の最後に「謝辞」として4頁ほどの文があります。
そこからも引用。
「前著に続く『安倍礼賛本』を出したことで、私は、特定の政治家を持ち上げる御用文士という世評が定着することになるのであろうか。それも面白かろう。言い訳はしない。
だが、私の目に映じる安倍晋三氏は、依然として、権力を謳歌する時の人ではなく、日本を本当に取り戻すために勝算に乏しい戦いを進める、政治というフィールドの孤独な藝術家だ。氏の仕事の孤独な性質は、私の本来の主題であるベートーベン、ヴァグナー、フルトヴェングラー、あるいは川端康成、小林秀雄、三島由紀夫ら、近代藝術の天才たちの、悲惨と栄光とさして変わらない。だから私は安倍氏にこだわるのである。
勿論、私の礼賛に対して、手厳しい批判が出現することは望むところだ。これだけ強い政治的個性に、強烈なアンチが出現しないのはおかしい。憲法改正や靖国、歴史認識、アベノミクスに対する、朝日新聞、毎日新聞、岩波文化人レベルの知能指数の低い言いがかりではなく、充分説得的で重厚精緻な批判の出現は、間違いなく日本の政治の成熟の里程標になる。」(p259~260)
本文は、前回の著書「約束の日」より、さらに読みやすくなっている感じをうけます。両方の著書を読めることのしあわせ。