竹山道雄著「京都の一級品」(新潮社)に
「日本では彫刻は宗教彫刻だったから、宗教感情が弱まるとともに彫刻も終った。」(p38)
とあり、ハッとさせられます。
さてっと、この本に「六波羅蜜寺」が登場します。
そこで空也像が竹山道雄によって語られております。
「さらにここに驚くべき彫刻がある。それは空也上人の肖像である。粗末な短い衣を着、撞木をもって鉦をたたきながら、庶民のあいだに信心をひろめる、草鞋ばきの行脚僧の姿が躍如としている。手にしている鹿の角の杖は、自分が愛していた鹿が猟師に殺されたので、その角をもらって一生放さなかったのだそうである。顎をつき出した顔にはほとんどファナティックは法悦がうかんで、ひたむきに仏に呼びかけて、全身が動いている。素朴で飄逸であるが、胸をうつパセティックなものがあり、思わず襟を正さしめる。」(p128~129)
「この像は垢じみた衣を着て辻で踊って民衆に法を説いた、一心不乱な姿を、じつにいきいきとあらわしている。・・われわれの感情を揺りうごかす。・・・こちらは救いをひろめる人で、顔の表情、足つき、変化のある全身の姿勢、杖や鉦などが、純一な感情が渦巻いていることを物語っている。口から出て空にならんで浮いている六つの小さな仏は、西洋の中世の絵にもこれに似たものがあったと思うが、いかにもナイーヴにしかも効果的に念仏という行を示している。
この精神の写実をかくまでも的確になしとげた康勝は運慶の四男だが、ただこの一作のみでも不朽の作者だと思う。他のいくつかの作品は、一門との共作が多い。」(p130~131)
うん。
平川祐弘著「竹山道雄と昭和の時代」(藤原書店)に
こんな箇所があったのでした。
「1983(昭和58)年『竹山道雄著作集』が完結した年の秋、竹山夫婦と私たち夫婦と四人で京都へ行った。竹山としては見納めのつもりであったろう。東寺からはじめて三十三間堂、養源院、清水寺、鳥辺野、六波羅蜜寺などを丁寧に見てまわった。あれから三十年近く経ったいま妻に『あの時どこがいちばん印象に残った?』とたずねたら『六波羅蜜寺』と依子は答えた。私もそうだと思ったが、よくきいてみると依子は鬘掛(かずらかけ)地蔵から、私は空也上人像から感銘を受けたのだった。・・」(p417)
「空也上人は胸に金鼓、右手に撞木を持ち、一心不乱に誓願を称えている。すると口の中から小さな仏が次々に並んで出て空に浮かぶ。あの信仰とあの構図は、シモーネ・マルティーニの『受胎告知』で、天使の口からAVEMARIA『幸あれマリア、恵みに満てる』の金文字が燦然と出てくる構図に似通っているように思えた。
空也には宗教的信念がそのまま三十一文字(みそひともじ)と化した歌がある。
ひとたびも南無阿弥陀仏といふ人の蓮(はちす)の上にのぼらぬはなし 」(p420)
「日本では彫刻は宗教彫刻だったから、宗教感情が弱まるとともに彫刻も終った。」(p38)
とあり、ハッとさせられます。
さてっと、この本に「六波羅蜜寺」が登場します。
そこで空也像が竹山道雄によって語られております。
「さらにここに驚くべき彫刻がある。それは空也上人の肖像である。粗末な短い衣を着、撞木をもって鉦をたたきながら、庶民のあいだに信心をひろめる、草鞋ばきの行脚僧の姿が躍如としている。手にしている鹿の角の杖は、自分が愛していた鹿が猟師に殺されたので、その角をもらって一生放さなかったのだそうである。顎をつき出した顔にはほとんどファナティックは法悦がうかんで、ひたむきに仏に呼びかけて、全身が動いている。素朴で飄逸であるが、胸をうつパセティックなものがあり、思わず襟を正さしめる。」(p128~129)
「この像は垢じみた衣を着て辻で踊って民衆に法を説いた、一心不乱な姿を、じつにいきいきとあらわしている。・・われわれの感情を揺りうごかす。・・・こちらは救いをひろめる人で、顔の表情、足つき、変化のある全身の姿勢、杖や鉦などが、純一な感情が渦巻いていることを物語っている。口から出て空にならんで浮いている六つの小さな仏は、西洋の中世の絵にもこれに似たものがあったと思うが、いかにもナイーヴにしかも効果的に念仏という行を示している。
この精神の写実をかくまでも的確になしとげた康勝は運慶の四男だが、ただこの一作のみでも不朽の作者だと思う。他のいくつかの作品は、一門との共作が多い。」(p130~131)
うん。
平川祐弘著「竹山道雄と昭和の時代」(藤原書店)に
こんな箇所があったのでした。
「1983(昭和58)年『竹山道雄著作集』が完結した年の秋、竹山夫婦と私たち夫婦と四人で京都へ行った。竹山としては見納めのつもりであったろう。東寺からはじめて三十三間堂、養源院、清水寺、鳥辺野、六波羅蜜寺などを丁寧に見てまわった。あれから三十年近く経ったいま妻に『あの時どこがいちばん印象に残った?』とたずねたら『六波羅蜜寺』と依子は答えた。私もそうだと思ったが、よくきいてみると依子は鬘掛(かずらかけ)地蔵から、私は空也上人像から感銘を受けたのだった。・・」(p417)
「空也上人は胸に金鼓、右手に撞木を持ち、一心不乱に誓願を称えている。すると口の中から小さな仏が次々に並んで出て空に浮かぶ。あの信仰とあの構図は、シモーネ・マルティーニの『受胎告知』で、天使の口からAVEMARIA『幸あれマリア、恵みに満てる』の金文字が燦然と出てくる構図に似通っているように思えた。
空也には宗教的信念がそのまま三十一文字(みそひともじ)と化した歌がある。
ひとたびも南無阿弥陀仏といふ人の蓮(はちす)の上にのぼらぬはなし 」(p420)