和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

家族葬。

2017-03-11 | 短文紹介
Voice4月号届く。
巻頭随筆は解剖学教室でなじみ深い養老孟司氏。
そのはじまりは、

「お葬式の形が変化してきている。
現在の状況は鵜飼秀徳『無葬社会』(日経BP)に
その詳細が記されている。多くの人はお気付きかもしれないが、
いまではいわゆるお葬式が全国的に見ても半数を切った。
東京のような都会では、葬儀をせずに火葬場に行く直葬、
さらに身内だけが集まる家族葬を含めると、
葬儀のほぼ八割を占めるという。」

つい先頃、親戚の家族葬へ行ったので、
そうかもしれないと、あらためて思うのでした。

曽野綾子氏の連載「私日記」を
さっそくひらく。
こちらの日記では、
まだ、ご主人は亡くなっておられない。

「私は子供の峙、昔風の父の元で
いつ父の機嫌が悪くなるかわかならいという
恐怖におびえながら暮らし、家族の穏やかな
時間を知らなかった。家族というものは、
心と体を癒し、失敗も包み込んでくれ、
寒ければ火を焚き、暑ければ汗を拭いてくれる
場所だと知ったのは、結婚してからであった。
だから三浦朱門は私を、まあ人並みな人間に
してくれたのである。・・・
私は病院で夜中に眼を覚ますと・・・・
血圧は信じられないほど低かった。
一度最高血圧が五十八になった時、
『ご家族をお呼びになった方が・・・』と言われて、
孫夫婦も夜十時過ぎにかけつけたが、
それでも朱門は静かに生き続けていた。
その後、血圧は四十八くらいまで下がる時もあったが、
その危機を朱門は自分で乗り越えた。
『健康な病人』という言葉を私が思いついたのは、
その時である。
入院して時に、一切の不自然な延命処置をしないことに
合意する旨の書類に私はサインしていたのだが、
それは二人の長年の暮らしの中で充分に
申しあわせのできていたものであった。
一月三十一日、私は眠り続けている病人をおいて、
浜離宮朝日ホールに、五嶋龍さんのヴァイオリン・リサイタル
を聞きに行っている。・・・」(p32~33)
コメント (2)
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