和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

いつか再び取りだす日まで。

2017-03-01 | 本棚並べ
山村修著「〈狐〉が選んだ入門書」(ちくま新書)で
藤井貞和『古典の読み方』を取り上げている箇所がありました。
題して「社会人に語りかける古典入門」。

そこで語っている山村修氏の指摘が思い出せました。

「藤井貞和のいうように、手にふれるものを何でも
自由に読もういうのは『放恣(ほうし)』であって
『自由』ではなく、
『秩序のない乱読は乱雑な文化人を作りだすだけ』なのです。
また、もし『徒然草』を一度読んだら、
いつか再び取りだす日まで書棚にしまっておこう
というのも有益なサジェスチョンです。
いったんは、しめくくりをつけてやること。
書物は生き物であり、生き物は眠りを必要とする。
愛読書はいつまでも起こしていないで眠らせてやり、
浮気のようにほかの書物へと関心を移してみるのがよい。
なぜなら『ほんとうの愛読書なら、いつかあなたの心のなかで、
眠りから目ざめるときがきっと来ることだろう』し、
『そのときの新鮮さは格別の味わいがある』と著者は記します。
古典文学再読のよろこびを語って、
これは至妙(しみょう)の一節であるといえるでしょう。」(p60)

うん。それなら、高齢化社会というのは、
愛読書が眠りから目ざめるチャンスを限りなくひろげる社会、
ということが言えそうです(笑)。
『そのときの新鮮さ』を、どうか味わえますように。
コメント
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