山村修著「〈狐〉が選んだ入門書」(ちくま新書)で
藤井貞和『古典の読み方』を取り上げている箇所がありました。
題して「社会人に語りかける古典入門」。
そこで語っている山村修氏の指摘が思い出せました。
「藤井貞和のいうように、手にふれるものを何でも
自由に読もういうのは『放恣(ほうし)』であって
『自由』ではなく、
『秩序のない乱読は乱雑な文化人を作りだすだけ』なのです。
また、もし『徒然草』を一度読んだら、
いつか再び取りだす日まで書棚にしまっておこう
というのも有益なサジェスチョンです。
いったんは、しめくくりをつけてやること。
書物は生き物であり、生き物は眠りを必要とする。
愛読書はいつまでも起こしていないで眠らせてやり、
浮気のようにほかの書物へと関心を移してみるのがよい。
なぜなら『ほんとうの愛読書なら、いつかあなたの心のなかで、
眠りから目ざめるときがきっと来ることだろう』し、
『そのときの新鮮さは格別の味わいがある』と著者は記します。
古典文学再読のよろこびを語って、
これは至妙(しみょう)の一節であるといえるでしょう。」(p60)
うん。それなら、高齢化社会というのは、
愛読書が眠りから目ざめるチャンスを限りなくひろげる社会、
ということが言えそうです(笑)。
『そのときの新鮮さ』を、どうか味わえますように。
藤井貞和『古典の読み方』を取り上げている箇所がありました。
題して「社会人に語りかける古典入門」。
そこで語っている山村修氏の指摘が思い出せました。
「藤井貞和のいうように、手にふれるものを何でも
自由に読もういうのは『放恣(ほうし)』であって
『自由』ではなく、
『秩序のない乱読は乱雑な文化人を作りだすだけ』なのです。
また、もし『徒然草』を一度読んだら、
いつか再び取りだす日まで書棚にしまっておこう
というのも有益なサジェスチョンです。
いったんは、しめくくりをつけてやること。
書物は生き物であり、生き物は眠りを必要とする。
愛読書はいつまでも起こしていないで眠らせてやり、
浮気のようにほかの書物へと関心を移してみるのがよい。
なぜなら『ほんとうの愛読書なら、いつかあなたの心のなかで、
眠りから目ざめるときがきっと来ることだろう』し、
『そのときの新鮮さは格別の味わいがある』と著者は記します。
古典文学再読のよろこびを語って、
これは至妙(しみょう)の一節であるといえるでしょう。」(p60)
うん。それなら、高齢化社会というのは、
愛読書が眠りから目ざめるチャンスを限りなくひろげる社会、
ということが言えそうです(笑)。
『そのときの新鮮さ』を、どうか味わえますように。