和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

別願讃

2017-03-04 | 詩歌
武石彰夫著「精選仏教讃歌集」(佼成出版社)に
別願讃(べつがんさん)が載っておりました。

身を観(かん)ずればみずのあわ

とはじまっております。
鑑賞には

「始めの八句は、人間の終局、死を見つめ、つぎに、
さけがたい苦、感覚のむなしさを指摘し、
遠く過ぎ去った昔から、今日現在に至るまで、
人間が希望するすべての事は、思い通りにならないのが
悲しいとまとめる。ここに、一遍自身の体験から
ほとばしり出た厳粛な死の事実への凝視がある。
ついで、仏の教えを聞きながらも正しい信仰に
徹しきれない歎きを述べる。
そして弥陀の本願を信じ名号を唱えることに
よってのみ往生できるとする核心部分に入る。・・・」

鑑賞の次の頁には、こうありました。

「時宗は、詩の教団、讃歌の教団である。・・・
また、時宗は移動する教団であったから、
歌声は旅とともに東北の陸奥(みちのく)から九州の果てまで
民衆の心にひびいた。弘安年間の日本の人口を約五百万人とすると、
その過半数は教化したといわれる。」

「一遍は・・・五十一歳、正応二年(1289)八月二十三日の辰の
始(午前七時)、兵庫(神戸市)光明福寺の観音堂(現在の真光寺)において、
時宗による晨朝礼讃(じんじょうらいさん)の『懺悔の帰三宝』
(仏法僧の三宝に帰依する文)を唱えるなかに静かに往生した。」

そして鑑賞の最後にはこうありました。

「中世は戦いの時代、醜い人間物欲と権力の争いなかにも
静かな念仏の声がもれる。古い鎌倉街道沿いに
時宗の道場が営まれ、『別願讃』が諷誦されていたのである。」
(p33)
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