和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

雑誌を読んで膝をうって。

2018-10-16 | 道しるべ
新潮45の10月号の特集タイトルは「『野党』百害」でした。
思い浮かんだ文がありました。
それは、「諸君!」最終号に長谷川三千子氏の文。
それを引用したくなりました。

はじまりは
「四十年前、はじめて『諸君』を読んだときの衝撃は
忘れられない。それまで、雑誌などといふものは、
ただ何となく時間をつぶすためにあるもので、
雑誌を読んで膝をうつて『さうだ!その通り!』
と叫びたくなることなどありえないと思つてゐた。
ところが、実際、さういふことがおこつたのである。

東大紛争の片がついてまだ半年しか経つてゐなかつた頃である。
世の中の新聞も雑誌も、全共闘は『純粋』で『根源的』だと
いふ思ひ込みに首までどつぷりとつかつてゐた時代である。
さういふ記事を読むたびに、連中と延べ何十時間も討論して
彼らの思考停止ぶりをイヤといふほど知つてゐる私は、
『ウソをつけ!』と心中ののしりつつ、
腹にすゑかねる思ひをしてゐた。
それを見事に覆してくれたのが、『諸君』第四号に載つてゐた
『東大覆面教官団のアングラ論文集』であつた
『全共闘は純粋な精神から、大学および大学人に対し根本的な
問いを提出し、身をもってこの問いを推進した』といふ伝説は
『本質的に虚構で』あるといふことを、ハッキリと、しかも
エスプリの効いた文章で語つてくれてゐる―――
大袈裟でなしに、紛争以来ずつと心のうちにわだかまつてゐた
孤独な憤激をいやされる思ひであつた。・・・」


短文の最後も引用します。

「近頃は、ネットでの言論活動といふものが盛んになつて、
オピニオン雑誌なるものの存在価値がなくなつたといふことが
よく言われる。しかし、はたしてそれは本当だろうか?
すぐに手軽に共感を得られるやうなネット上の『オピニオン』
言論が盛んになればなるほど、他方で、本当によく練り上げた、
力のある文章を世に問ふ場の必要性といふものは、
かへつて増すのではあるまいか。
少くとも私は、これからも変らず、
さういふ文章を目指しつづけたいと思つてゐる。」
(「諸君!」最終号。2009年6月号p178~179)


新潮45の休刊で
「本当によく練り上げた、力のある文章を世に問う場」
がひとつ消えてゆくのだと、理解してよいのでしょうね。

それにしても、「『野党』百害」というタイトル。
もう、こういうタイトルも御法度なのか。
「そうだ!その通り!」とも言えなくなるなんてね。
他の雑誌に頑張っていただかねば。
月刊雑誌購読させていただきます。
コメント
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