まとまると、送料がタダになる古本屋さんへと
注文してあったのが届く。
蓮如は、いつか読みたいと思ってはいたのですが、
いったい、どの本を読めばよいのか分らなうちに、
過ごしておりました(笑)。
今回購入した古本は読めそうな気がしてきました。
大谷晃一著「大いなる坂 聖と俗の巨人蓮如」(河出書房新社)
神田千里編「日本の名僧13 蓮如」(吉川弘文館)
あとがきと、はじまりをパラリとめくっただけですが、
興味を持てる書きぶりです。
さてっと、あとは
「1969‐78 完本紙つぶて」(文芸春秋版)。
こちらは、函入。函の後ろに
山崎正和氏と丸谷才一氏の評が載っておりました。
ここでは、丸谷才一氏の評をそのまま引用することに
「戦前の日本では本を読むのは悪いことだつた。
たとへば陸軍士官学校、海軍兵学校の生徒たちは、
教科書以外の本を読むことをかたく禁じられてゐた。
このせいでの、軍人の教養の貧しさ、見識の低さは、
敗戦の一因をなしてゐたと言へる。
戦後の日本では、一転して、読書はむやみに奨励される
やうになつた。しかも、はじめは文化国家とやらのせいで
恰好をつけるだけだつたが、近頃は既成の価値観が
みな怪しくなつたため、何につけてもめいめい
本を読んで自分で考へるしかなくなつた。
このとき谷沢永一の本が出ることはまことに
時宜にかなつてゐる。彼こそは、
日本人全体の読書術の師範となるにふさわしい
乱読快読の知識人だからである。」
この誉め方が、すごいなあ(笑)。
1978年に出ておりました。
あらためて、谷沢永一氏ご本人の「あとがき」の
さいごの方を引用しておきたくなります。
「書物の魅力に憑かれることになった十歳前後から、
知らぬ間に数え年で五十歳に達した今日まで、
私は結局、この『完本・紙つぶて』一巻を書くために、
長い年月を経てきたのかも知れない。
そう思いかえしても、私は十分に満足である。
いや、それどころか、ひとりのささやかな読書人の、
うたかたに消えてゆく筈の心情の一面を、
我流の≪紙つぶて≫として書き続ける機縁に恵まれたのは、
私にとって最上の幸福であり、
関係者に対する感謝は尽きない。・・・」
はい。これだけで満腹。
注文してあったのが届く。
蓮如は、いつか読みたいと思ってはいたのですが、
いったい、どの本を読めばよいのか分らなうちに、
過ごしておりました(笑)。
今回購入した古本は読めそうな気がしてきました。
大谷晃一著「大いなる坂 聖と俗の巨人蓮如」(河出書房新社)
神田千里編「日本の名僧13 蓮如」(吉川弘文館)
あとがきと、はじまりをパラリとめくっただけですが、
興味を持てる書きぶりです。
さてっと、あとは
「1969‐78 完本紙つぶて」(文芸春秋版)。
こちらは、函入。函の後ろに
山崎正和氏と丸谷才一氏の評が載っておりました。
ここでは、丸谷才一氏の評をそのまま引用することに
「戦前の日本では本を読むのは悪いことだつた。
たとへば陸軍士官学校、海軍兵学校の生徒たちは、
教科書以外の本を読むことをかたく禁じられてゐた。
このせいでの、軍人の教養の貧しさ、見識の低さは、
敗戦の一因をなしてゐたと言へる。
戦後の日本では、一転して、読書はむやみに奨励される
やうになつた。しかも、はじめは文化国家とやらのせいで
恰好をつけるだけだつたが、近頃は既成の価値観が
みな怪しくなつたため、何につけてもめいめい
本を読んで自分で考へるしかなくなつた。
このとき谷沢永一の本が出ることはまことに
時宜にかなつてゐる。彼こそは、
日本人全体の読書術の師範となるにふさわしい
乱読快読の知識人だからである。」
この誉め方が、すごいなあ(笑)。
1978年に出ておりました。
あらためて、谷沢永一氏ご本人の「あとがき」の
さいごの方を引用しておきたくなります。
「書物の魅力に憑かれることになった十歳前後から、
知らぬ間に数え年で五十歳に達した今日まで、
私は結局、この『完本・紙つぶて』一巻を書くために、
長い年月を経てきたのかも知れない。
そう思いかえしても、私は十分に満足である。
いや、それどころか、ひとりのささやかな読書人の、
うたかたに消えてゆく筈の心情の一面を、
我流の≪紙つぶて≫として書き続ける機縁に恵まれたのは、
私にとって最上の幸福であり、
関係者に対する感謝は尽きない。・・・」
はい。これだけで満腹。