「・・時は天保の末の春の盛りの頃でありました。
山々は、張り切れんばかりの新緑をつけて、
高山の常として峠の上は山桜が真盛りで、
得も云われぬながめです。
・・・正午過ぎる頃まで人っ子一人通りません。
ようやく日が傾きかける頃になって、
山が焼けるが
立たぬか雉子(きじ)ヨ
これが立たりょか
子(こ)を置いて
と妙な調子を張り上げて、
鄙びた節おかしく歌う声が、
青葉の中から洩れて来ると見れば、
峠の頂きの十一面観音の社の横道に
姿を現わしたのは二人づれの若い男、
樵夫(きこり)か炭焼でありましょう。
・・・・」
大菩薩峠第一巻の一、
ここから引用しました。
論創社「大菩薩峠『都新聞版』」中里介山。
挿絵井川洗厓。新聞版で、毎回の挿絵が魅力。
はい。そうです。私は挿絵目当て。
西洋絵本の細密画の挿絵を見ている。
そんなような、気分になります(笑)。
山々は、張り切れんばかりの新緑をつけて、
高山の常として峠の上は山桜が真盛りで、
得も云われぬながめです。
・・・正午過ぎる頃まで人っ子一人通りません。
ようやく日が傾きかける頃になって、
山が焼けるが
立たぬか雉子(きじ)ヨ
これが立たりょか
子(こ)を置いて
と妙な調子を張り上げて、
鄙びた節おかしく歌う声が、
青葉の中から洩れて来ると見れば、
峠の頂きの十一面観音の社の横道に
姿を現わしたのは二人づれの若い男、
樵夫(きこり)か炭焼でありましょう。
・・・・」
大菩薩峠第一巻の一、
ここから引用しました。
論創社「大菩薩峠『都新聞版』」中里介山。
挿絵井川洗厓。新聞版で、毎回の挿絵が魅力。
はい。そうです。私は挿絵目当て。
西洋絵本の細密画の挿絵を見ている。
そんなような、気分になります(笑)。