和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

童門冬二の金次郎。

2019-03-05 | 短文紹介
古本で、
童門冬二著「評伝二宮金次郎」(致知出版社)を
送料共380円で購入。

単行本で初版。きれいです(笑)。
童門冬二を、読むのははじめて。
カバーの著者略歴を読む。
「昭和2年東京都生まれ。
東京都広報室長、企画調整局長などを
務めた後、54年退職、・・作家活動に入る。
・・・」

ふ~ん。東京都に勤めておられたのか。
それで、勤めの視点が新鮮なのだなあ。

「徳川幕府の老中という制度は、
特別な給与を出しておこなわせる仕事ではない。
必要な金は全部自分の領国で調達しなければならない。
そのために家臣団としては、主人が老中などの
幕府の要職につくことは歓迎しなかった。
持ち出しが多くて困る。つまり
幕府の高級役職は金食い虫なのだ。
だから忠真が大阪城代から江戸城に戻り、
やがて老中に任命されるという噂が流れた時、
家臣団はよってたかって反対した。・・」(p56)


おっと、肝心な二宮金次郎を引用しなくちゃ(笑)。

「享保の改革の徳川吉宗、寛政の改革の松平定信、
そして天保の改革の水野忠邦たちが、
『農業を基本として改革を推進する』
という根本方針を立てたことは、
明らかにこの貨幣経済に対する真っ向からの挑戦であった。
そしてこれは、
『はじめから負けるに決まっている戦い』であった。
水野忠邦が二宮金次郎を登用し、
『自分の改革理念を一部でもいいから成功させたい』
と願ったのには・・・」(p73)


こんな箇所も

「戦前・戦中派の方々はよくご存じだろうが、
小学校の庭には必ず二宮金次郎の銅像が立てられていた。
少年金次郎は薪を背負い、本を読んでいる。・・・

この金次郎の銅像は、戦後、過激な考え方をする
教員たちによって引き倒された。
『戦中に二宮金次郎は、
軍国少年のかがみとして利用された。
そういう存在は、学校の庭から追放すべきだ』
という考え方である。

戦前の小学校で学んだ筆者は、しかし戦後
その金次郎の銅像を引き倒した教員そのものが、
戦中は、『二宮金次郎こそきみたちの模範である』
と教えていた姿をはっきり頭の中に刻みつけている。
ある面での筆者の教育者不信は、
この光景から始まったといっていい。」
(p91~92)


金次郎の読書についても、ありました。


「二宮金次郎の教えを受けた人や、
金次郎について研究を続けている方々の意見によれば、

〇金次郎は、本に書いてあることを定説に従って解釈しなかった。
〇自分独自の解釈をした。
〇何度読んでもわからない文章は、そこを引き裂いて、
捨ててしまう。つまり、理解できない文章は無視黙殺してしまう。」
(p109)

〇の3番は、すごいなあ。
晩年のことでしょうか?


こうして、私のような二宮尊徳の初心者には、
格好の入門書となっており、ありがたいなあ。
コメント
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