CDが気になって
「京の通り名の歌 都の歳時記とわらべ歌」を
購入。昨日届く。
とりあえず、一回聞いてみる。
わらべ歌は、あいりす児童合唱団で監修が高橋美智子。
魅力だったのは、わらべ歌だけで、まとめられるのじゃなく、
祭の雑踏の音が聞けたりするのでした。
祇園囃子が聞けて、詩仙堂の猪おどしまで聞ける。
洛西十輪寺の梵鐘(余韻にうねりのない澄んだ音色の鐘の音)。
CDの最後は、知恩院の梵鐘で、除夜の鐘。
除夜の鐘は、ずっと聞いていたくなるのですが、プッツンと
途中まで(笑)。
そんな京都の音のあいだに、はいる京わらべ歌も
選択が自然でみごとです。
このCD。もう発売されていないようでネットで
定価よりもすこし高くなっておりました。
さてっと、聞き終わると、
私に思い浮かんだのは、武満徹。
ということで、
吉田直哉著「まなこ つむれば・・」(筑摩書房)
を本棚からとりだしてくる。
この本は、はじまりが武満徹で、
さいごの、レクイエムの章の、おわりも武満徹でした。
題は「武満さんの先駆的な旅」とあります。
その本の最後の文から、引用。
「彼、武満徹にはじめて会ったのは昭和29年、1954年である。
私はNHKに入局2年目の新人で、放送30周年特集に提案した
『音の四季』という企画が通ったので、その作曲を頼みに
行ったのだった。・・実をいうと提案会議で採択された企画書は、
早坂文雄の名になっていたのである。しかし勇んで伺ったら
御病気で(いま思えば死の)床についておられ、
『君は若いんだから、
ぼくなんかじゃなく若い人といっしょに仕事をしなさい。
足元に波が打寄せてくるような気がするほど、すごいのがいるんだよ』
と武満徹という名を教えて下さったのだ。・・・・・
さっそく会ってみた。すると、何ともはかなく頼りない
外見なのに、強烈な存在感なのである。」(p252~p253)
そして、吉田直哉さんは
「ことばを交わしてすぐ企画が根底からゆさぶられるような、
強烈な発言が繰り返されるのをきいた」というのでした。
「・・・・さらに彼は訥々とつづける。
『現実音より楽器が出す音のほうが高尚だと錯覚している愚か者が多い。
目をさまさせるために、全部を水の音でやってみたらどうかな。
雪どけから始まって五月雨、入道雲が崩れて二百十日、風雪・・・。
四季それぞれにどんな音が在るかというのは、
つまり水の音のきこえかたが、春夏秋冬でどうちがうかでしょう。
松風の音のみならず岩ばしる水にも秋はありけるものを
―――です』
水の音に秋冷を聞きとる西行のような耳に、
それに匹敵する楽音を差し出すことは至難のわざだ、
という意味のことも言った。
そのすべてが自説を偉そうに開陳するというのとは
全く反対で、自分に誠実に言いきかせる、
という調子だからすっかり感動した。
・・・・・・
こうして思い出すと、武満徹という人物が
自分の踏み出そうとしている荒野を、その人生の出発点から
実に明確に問題意識をもって展望していたのだ。
という事実にいやでも気づく・・・」(~p254)
はい。このCD
「京の通り名の歌 都の歳時記とわらべ歌」にも、
こんな問題意識をもって作られた一枚なのだと思える、
そんな楽しい想像がひろがりました。
ちなみに、このCDの
都おどり・白川女花売り・葵祭(牛車と雅楽)
梵鐘(十輪寺)・祇園祭(市電・お札うり・山鉾巡行)
いんでこ大文字・猪おどし(詩仙堂)・除夜の鐘(知恩院)
以上は1970~1972年録音とあります。
そのころの雑踏のようすが雑音とともに聞けます(笑)。
「京の通り名の歌 都の歳時記とわらべ歌」を
購入。昨日届く。
とりあえず、一回聞いてみる。
わらべ歌は、あいりす児童合唱団で監修が高橋美智子。
魅力だったのは、わらべ歌だけで、まとめられるのじゃなく、
祭の雑踏の音が聞けたりするのでした。
祇園囃子が聞けて、詩仙堂の猪おどしまで聞ける。
洛西十輪寺の梵鐘(余韻にうねりのない澄んだ音色の鐘の音)。
CDの最後は、知恩院の梵鐘で、除夜の鐘。
除夜の鐘は、ずっと聞いていたくなるのですが、プッツンと
途中まで(笑)。
そんな京都の音のあいだに、はいる京わらべ歌も
選択が自然でみごとです。
このCD。もう発売されていないようでネットで
定価よりもすこし高くなっておりました。
さてっと、聞き終わると、
私に思い浮かんだのは、武満徹。
ということで、
吉田直哉著「まなこ つむれば・・」(筑摩書房)
を本棚からとりだしてくる。
この本は、はじまりが武満徹で、
さいごの、レクイエムの章の、おわりも武満徹でした。
題は「武満さんの先駆的な旅」とあります。
その本の最後の文から、引用。
「彼、武満徹にはじめて会ったのは昭和29年、1954年である。
私はNHKに入局2年目の新人で、放送30周年特集に提案した
『音の四季』という企画が通ったので、その作曲を頼みに
行ったのだった。・・実をいうと提案会議で採択された企画書は、
早坂文雄の名になっていたのである。しかし勇んで伺ったら
御病気で(いま思えば死の)床についておられ、
『君は若いんだから、
ぼくなんかじゃなく若い人といっしょに仕事をしなさい。
足元に波が打寄せてくるような気がするほど、すごいのがいるんだよ』
と武満徹という名を教えて下さったのだ。・・・・・
さっそく会ってみた。すると、何ともはかなく頼りない
外見なのに、強烈な存在感なのである。」(p252~p253)
そして、吉田直哉さんは
「ことばを交わしてすぐ企画が根底からゆさぶられるような、
強烈な発言が繰り返されるのをきいた」というのでした。
「・・・・さらに彼は訥々とつづける。
『現実音より楽器が出す音のほうが高尚だと錯覚している愚か者が多い。
目をさまさせるために、全部を水の音でやってみたらどうかな。
雪どけから始まって五月雨、入道雲が崩れて二百十日、風雪・・・。
四季それぞれにどんな音が在るかというのは、
つまり水の音のきこえかたが、春夏秋冬でどうちがうかでしょう。
松風の音のみならず岩ばしる水にも秋はありけるものを
―――です』
水の音に秋冷を聞きとる西行のような耳に、
それに匹敵する楽音を差し出すことは至難のわざだ、
という意味のことも言った。
そのすべてが自説を偉そうに開陳するというのとは
全く反対で、自分に誠実に言いきかせる、
という調子だからすっかり感動した。
・・・・・・
こうして思い出すと、武満徹という人物が
自分の踏み出そうとしている荒野を、その人生の出発点から
実に明確に問題意識をもって展望していたのだ。
という事実にいやでも気づく・・・」(~p254)
はい。このCD
「京の通り名の歌 都の歳時記とわらべ歌」にも、
こんな問題意識をもって作られた一枚なのだと思える、
そんな楽しい想像がひろがりました。
ちなみに、このCDの
都おどり・白川女花売り・葵祭(牛車と雅楽)
梵鐘(十輪寺)・祇園祭(市電・お札うり・山鉾巡行)
いんでこ大文字・猪おどし(詩仙堂)・除夜の鐘(知恩院)
以上は1970~1972年録音とあります。
そのころの雑踏のようすが雑音とともに聞けます(笑)。