清水千鶴歌集「日々訥々」をつづけます。
あとがきに、こんな箇所がありました。
「 息(注:息子)が最近つくづく申します。
私と話していると人生は長いとあらためて感じるのだと、
自分はあと30年生きたとしても私の年に追いつけないと。
しかもあと30年も生きる自信はないと、
つまらぬことを言って笑います。
・・・・どうのこうのは私にはわかりません。
ただ、授かり、守られ生かされてきたことは確かでございます。
『 あんたもそうなんやで 』と息に申しますと、
からからからと笑いました。
もう30年、息が生き今日の私の年になったならば・・・・
・・・今日の私と同じことを話すと思います。
時とはそういう力を持っているのでございます。 」
息子さんが、この歌集を編んで選んだ際の会話のように思えます。
それならば、千鶴さんのご両親は、歌集のなかで、
どのように歌われていたかを引用してみたいと思いました。
『健康を祈ります』とう亡き母の色褪せしはがき本より落ちぬ p144
未熟児の私に千鶴と命名し長生き祈りし父なりと聞く p145
咳止めに金柑糖を煮てくれし亡母と真夏の風に寝ており p163
大根を桶になじませ積みてゆく亡母の手順をなぞりながらに p164
亡母の友をホームに訪えば歩いては鳴く縫いぐるみの犬と遊べり p169
年老いて久びさ参る父母の墓黄の蝶きており我を待つごと p172
蝉時雨母の墓石に滲みとほる真昼我が影いとも短し p189
亡き母と墓参りに来し日この店にかき氷食みて喉うるおしぬ p214
リヤカーの豆腐屋路地に入り来ると亡母は呼びにき厨の窓に p220
若き父と年老いた母の眠る墓久々に訪えば小鳥さえずる p239
車いすに夫の遺影を座らせて独り語りの友の迎え火 p243
孤独死の友の初盆送り火の舟消ゆるまで橋に佇む p245
『さみしいね』言葉こぼさず隠居所に骨抱く姉と我は真向かう p258
灯ともせば窓に小さき蝶のおりそうっと見守る喪の家の厨 p259
認知症の友も私も癒されぬ路地の木犀静かに語る p267
身寄りなき友の遺骨を納めたる塚の辺彼岸花ひたぶる赤し p269
『家族だけで見送ります』参列の人影もなく白日の門辺に野菊咲けりp274
生姜湯の湯呑みの温かし亡き母が病床で愛用したる思い出と飲む p281
栗むかむナイフの先に灯の光り『危ないよ』という亡母の声す p320
われのみのエレベーター内お見舞の冬の苺が切なく匂ふ p347
長病みの友は目を閉じしまま故郷の川の猫柳を言ふ p352
病む姉の一坪の庭紅の牡丹花咲きて風集めをり p361
老いゆく思案の日々ゆるがせて生命保険のCMばらまくテレビを消しぬp85
櫓の音と小鳥の声に行く水郷八方ふさがりの心を解きて p127