水曜日は出歩ける、私の自由時間。一日よい天気でしたから、
主なき家の庭や道路脇に伸びているスギナを午前午後またいでの草刈り。
帰りはコンビニで缶ビールを買って帰る。
家などのまわりの槙の木のほそば下にスギナがのびて
うっとうしい感じでしたので、草刈り機の雑な素人作業でしたが、
とりあえず何となくやった感の一日でした。行き帰りの農道には、
水をはった田んぼに苗が植えられていたりそんな今日この頃です。
え~と。御伽草子に関連してとりだしたのは、
バーバラ・ルーシュ著「もう一つの中世像」(思文閣出版・平成3年)。
私が買ったのはもちろん古本でした。
その古本には、新聞の切り抜きがはさまっておりました。
はい。その1991年(平成3年)11月16日の朝日新聞
記事は
第一回南方熊楠賞の人文科学・熊楠賞を受賞したバーバラ・ルーシュさん、
とあります。はい。記事のはじまりを引用。
「 賞の決め手になったのは、この6月刊行された
『 もう一つの中世像 』(京都・思文閣出版刊)の業績。
わが国の中世を『下剋上時代』、『暗黒時代』など、手あかのついた
キーワードで語ってきた従来の歴史観の見直しを迫る力作だ。
わかりやすく、巧みな文章は
日本人の翻訳ではなく、バーバラさん自身が書いた。・・・ 」
この本のなかの「 奈良絵本と貴賤文学 国民性のルーツを求めて 」
という17ページほどの文を読んでみました。
ご自身を「わたくし自身が天邪鬼(あまのじゃく)的な性格」(p97)
として、日本の中世への興味を語りはじめておりました。
「中世文学については、詳しく勉強したのは連歌と謡曲についてだけである。
というのは、中世文学では、和歌、連歌、それに謡曲だけにしか
高い評価が与えられてなかったからである。つまり中世小説は、
ほとんど読む価値のないものとして軽んじられていたのである。 」(p98)
「 日本文学の研究のなかで、中世小説は、
ある意味で継子(ままこ)いじめされていたといえるだろう。」(p98)
このつぎに、平家物語への言及があるのですが、そこをまたいで、
そのつぎは、こうあるのでした。
「 面白いことに、熊野比丘尼と絵解法師は、
絵を見せながら語り聞かせたのである。
彼らは、人の集まるところならどこへでも出掛けるといった、
旅に生き、旅に死すタイプの宗教的芸人だった。
これは重要なことである。というのは、
一つの語り物が一か所だけでなく、彼らが旅するところ、
つまり全国に広がったということを示しているからである。
この現象は、とりもなおさず、彼らの語る物語がいろいろの
階層の日本人に受け入れられたということを示唆している。
受け入れられないものや愛されないものを、
日本全国にもってまわるということは不可能であろう。
もし受け入れられなかったならば、彼らは
その物語を語ることを止めたに違いないし、また改作したかもしれない。
そしてだれからも愛されるように、観客の好みに合わせて、
また必要に応じて、少しずつ変えていったかもしれない。 」(p102)
「 これらの作品は人びとにショックを与えたり、
また革命的な思想を吹き込んだりするようなものではない。
これらは、人びとが何度も何度も聞きたい、
あるいは読みたいと願うテーマから成っており、
何度聞かされてもまた読んでも、決して飽きたりしない、
それどころか、人びとに安心感と慰みを与えるのである。
なぜかというと、これらの作品の内容が国民性と一致しているからである。
したがって、これらの物語は外国人に最も理解され難いものかもしれない。」
(p103)
「 わたくしの考えでは、日本人の国民性は室町時代の小説のなかに、
いちばんはっきりとした形で現れていると思われる。
この時代は、いわゆる御伽草子の時代でもあり、
奈良絵本という絵入りの冊子本が登場した時代でもある。
しかし残念なことに、この絵入り物語は、
平安時代や江戸時代の文学や絵画の作品と比較してみると、
いちばん一般の日本人に知られていない、また研究されていない分野で、
いまだに国文学者のなかにも、御伽草子とは室町時代に単に子供と
女性を対象にして書かれた作品だと考えている人がいるくらいである。
いままでの説明から、これがいかにいいかげんな解釈であるか
おわかりいただけると思うが、国民性のルーツともいえる
中世小説は過小評価されすぎているのではなかろうか。 」(p106)
はい。あと一か所引用して、おわりにします。
「 やはり、紫式部から井原西鶴までの五百年間は空白ではなかった。
日本人はフィクション、つまり小説の世界で、
すばらしくクリエイティブなものを創っていた。
わたくしは、この中世小説のなかに、
御伽草子のなかに、この奈良絵本のなかに、
日本人の創造性の一つを見る。 」(p109)