須田剋太の挿絵『街道をゆく』を見ながら、
さて、これをどう読んだらよいものかと思う。
さいわいなことに、『司馬遼太郎が考えたこと』(新潮文庫)が身近にある。
まるで、須田画伯の言葉を、分かりやすく翻訳するようにして、
須田絵画を、司馬さんが嚙み砕いて言葉にかえてくれています。
『街道をゆく』の司馬さんは、取材で共に須田画伯と歩いてる。
身近で知る司馬さんが言葉を選び浮き彫りにする画伯絵画の姿。
『 十六、七年、私がこの人(須田画伯)を見つめつづけてきて
驚かされるのは、影ほどの老いも見られないことである。 』
( p142 「司馬遼太郎が考えたこと 14」 )
「 ここでちょっと余談をはさむと、
絵画は自然を説明するものなのか、それとも
タブローから生み出される宇宙最初の――自然を超えた――
形象なのかと問われれば、
画伯は圧倒的に後者だと私は答える。
――富士山はこうなのです。
というのが、多くの画家によって描かれてきた富士山の絵だが、
須田画伯のはそうではなく、たとえ富士を描いても、
それはたったいま生まれてきた何かであって、
人が富士と呼べばそうであり、人が心といえばそうである。
あるいは人が抽象的形象とみればそれでもよく、
ともかくも、画伯によってはじめて出現するなにかである。
おそらくこの絵画思想は、妙義山(注:)に籠もりたいというときには、
すでにその萌芽があったにちがいない。 」
( p286~287 「司馬遼太郎が考えたこと 14」 )
注:≪ おそらく二十そこそこに、故郷の妙義山に山籠もりしていた ≫
はい。須田画伯の挿絵『街道をゆく』を見ながら、
司馬さんの画伯への言及を読める醍醐味と楽しさ。
こんな箇所もありました。
「 ・・わが友では、須田剋太を好む。
いずれも、地の霊が人に化したかと思われるような
おそるべき魂をもちながら、
その生き方はかぼそく、人には優しく、
腫れあがった皮膚のように風にさえ傷みやすい。
そのくせ画を創りあげるときには、
造形を創るという匠気をいっさいわすれ、
地と天の中に両手を突き入れて霊そのものの
躍動をつかみあげることに夢中になる。
しかしながら、鬼面人を驚かすような構成はまれにしかとらず、
たいていは花や野の樹々といったおだやかな生命をみつめ、
そのなかに天地を動かすような何事かを見究めつくそうとする。 」
( p194 「司馬遼太郎が考えたこと 9」 )
まだまだ、こぼれ落ちそうな司馬さんの須田画伯への言及を
鏡のようにして須田画伯の挿絵『街道をゆく』を見る楽しみ。