和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

能狂言の室町時代。

2021-12-31 | 古典
西原大輔著「室町時代の日明外交と能狂言」(笠間書院)。

はい。各章のはじまりだけを引用することに。

第一章のはじまり

「中華思想という『中国之夢』に陶酔し、拡張主義的になった
チャイナが、海を越えて強権を日本に及ぼし、服従と属国化を
要求し始めた時、我が国は如何に対処すべきか。
能大成期の日本は、このような対明外交問題に直面した。

中華思想では、華(か)と夷(い)を区別し、
皇帝と国王との間に上下関係を設定しようとする。
この華夷秩序を形式的に受け入れる限り、
中華は周辺諸国に経済面で寛大だった。
朝貢に対する回礼品は、数倍以上の利益を生んだ。

また、皇帝に国王と認定された周辺諸国の権力者は、
自国内で政治的権威を高めた。

このような巧みな抱き込み策に組み込まれまいと抗う時、
日本は全く次元の異なる論理や価値観・世界観を必要とした。
 ・・・・

この第一章では、中華思想に取り憑かれた明朝の『帝国主義』に
対する、日本の独立精神貫徹の物語として、また、チャイナ中心の
華夷秩序への対抗言説として、≪白楽天≫を読み解いてゆきたい。」
(p12)

うん。引用が長くなりました。
このあとは、短く各章のはじまりを引用。

第二章のはじまり
「対馬に襲来した朝鮮軍を退散させたという吉報が、
九州の少弐満貞から都に到着したのは、応永26(1419)年
秋8月7日のことだった。応永の外寇である。・・・・」

第三章のはじまり
「ある年、東シナ海でチャイナと日本の紛争が発生、
日本船がチャイナ側に拿捕され、乗組員が拉致された。

日本としても、対抗上チャイナ船を拘束し、
乗組員を日本国内に拘留した。能≪唐船≫は、
このような穏やかならぬ記述ではじまる。・・・・」
(p76)

第四章のはじまり
「我が国に華夷秩序を強要するチャイナを嫌い、
明国との断交を行なった足利義持(1386~1428)は、
応永35年1月18日に亡くなった。その後、
籤(くじ)引きで選ばれた六代将軍足利義教(1394~1441)が
室町幕府を引き継ぐと、外交方針が反転する。
義教(よしのり)は、貿易による経済的利益を重視し、
日明間の国交回復を目指した。

明朝の属国という外交形式を甘受することで
実利を取りに行ったのである。・・・」(p108)

第五章のはじまり
「≪善界(ぜがい)≫の作者竹田法印定盛(たけだほういんじょうせい)
は、大陸の血を受け継ぐ人物である。祖母は明人で、先祖の四分の一が
外国人だった。いわゆるクォーターである。・・・

その定盛が、反チャイナ的な能≪善界≫を書き残したことは、
極めて興味深い。・・・」(p128)

第六章のはじまり
「日本人は一体いつから、中華世界に特別な権威を認めなく
なったのだろうか。またいつから、チャイナを低く見るように
なったのだろうか。・・・・・・・・・・

このような疑問を持ちつつ、日本の歴史をふりかえる時、
室町時代の能成立期が注目される。我が国を上位国とし、
大陸を含む周辺国を属国視する、日本中心の世界観。
その水源の一部は謡曲にもある。本章では、
能≪岩船≫を取り上げ、作品にあらわれた日本中心型
華夷観について考えてゆきたい。」(p154)

第七章のはじまり
「≪春日龍神≫は、愛国的な印象を与える能である。・・・」
(p188)

第八章のはじまり
「狂言≪唐相撲≫の観客は、眼前で展開する異国趣味の
面白さに強い印象を受ける。和泉流では≪唐人相撲≫、
大蔵流では≪唐相撲≫と称するこの演目には、
極めて大人数の立衆が登場する。
通常の狂言が持つ簡素な美とは異なり、
派手な装束を着た人物が、橋掛(はしがかり)まで
ぎっしり立ち並ぶ。まるでお祭りを見ているような気分である。」
(p216)

はい。さわりだけですが、ここまで。

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2 コメント

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Unknown (jikan314)
2021-12-31 15:41:26
いつも面白い本の情報ありがとうございます。歴史に弱く本を読まない小生には有難いです。
応永の外寇について、これを根拠に対馬は韓国領だと主張する輩が多数いる。史上最弱軍伝説の笑い話としても信じる者がいる事が、とても危険な事だと思っております。彼らには、大学教授ですら左証を必要としない連中なので、証拠を突き付けても無意味かと。
「日の出る国の天子」の遣隋使時代から契丹族の皇帝とは対等と言う意識だったと思います。
遣唐使も貿易より、日本人人材育成に力を注ぎました。この事が、中華から日本は独立していた証拠かと。日本には、翡翠と言う中国人が欲しくてたまらない物を産出するので、古代には朝貢に喜んだかと。
来年も楽しみに拝見致します。良い御歳をお迎え下さい。
拙句
出来た事数を数えて歳の暮
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よいお年をお迎えください。 (和田浦海岸)
2021-12-31 16:06:29
jikan314さん。
コメントありがとうございます。
習うより慣れよで、お気楽に
ブログを拝見させていただいております。
来年もよろしくお願いいたします。
よいお年をお迎えください。

拙句
 我知らず 過ごせば過ぎる 年の暮れ
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