「夕べの雲」を読んでいる途中なのに、
庄野潤三著「文学交友録」(新潮文庫)を読み始めた。
年齢的には庄野氏が73歳。1994年に1年間連載したのがこの『交友録』。
私は、「明夫と良二」から読み始めたせいか、先生が歌うことや、
ロビンソン・クルーソーが、『文学交友録』のはじめに出てくる
のには、正直驚かされる。
ここは、順を追ってゆくと、
『明夫と良二』のあとがきには、こうあったのでした。
「 『ロビンソン・クルーソー』のような話が書ければ、
どんなにいいだろうと、思わないわけではありません。 」
交友録のはじまりに、
「私は大阪の住吉中学を卒業して昭和14年に
大阪外国語学校英語部に入学した。・・・
外語英語部で私が教わった吉本正秋先生と上田畊甫(こうほ)先生・・」
この先生のことから始められております。
吉本正秋先生の家は『 田圃の真中にあった 』という
『 矢田の駅を出て、人家のかたまっているところを通り抜けて、
一本道をどこまでも歩いて行くと、先生の家が見えて来る。
まわりは見わたす限り田圃(たんぼ)である・・・ 』 (p18)
「 校友会の雑誌に吉本先生が随筆を書いているのを読んだことがある。
・・・
駅からは遠い。雨が降れば歩くに難儀する。
まわりに家は一軒も無い。そんな不便な、さびしいところに
どうして長い年月、自分は住んでいるのか。
そういうことを書いてあった。
最後のところだけ、私は覚えている。
自分はアレクサンダー・セルカークもどきに、
『 見渡す限りは、わが領土なるぞ 』
とうそぶいている、というのであった。・・・
この随筆の結びのところも、その英詩らしい一句も
はっきりと覚えているが、
『 アレクサンダー・セルカーク 』がいったい何者であるのか、
分からない。分からないままに年月がたった。
戦後、私が家族を連れて会社の転勤で東京へ引越して
大分たってからだが、・・英語の先生をしている友人の
小沼丹(おぬまたん)に尋ねたら、アレクサンダー・セルカークとは
『 ロビンソン漂流記 』のモデルになった人物だ、
船乗りであったが、無人島に置き去りにされて、
何年かひとりきりで暮したことがある。
この経験を書いて本にした。デフォーはその本にヒントを得て
『 ロビンソン漂流記 』を書いたと説明してくれた。・・・
小沼丹のひとことで長年の謎がいっぺんに解けた。 」(~p24)
はい。こうして交友録がはじまっております。
パラパラ読みですがゆっくり読みだすと、この『交友録』と、
庄野潤三の作品とが、きっちりと木霊して消えてゆくような、
何だか奥行きのある琴線へと触れたような気になるのでした。
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