宮澤賢治の『注文の多い料理店』の最後の方でした。
「二人はあんまり心を痛めたために、
顔がまるでくしゃくしゃの紙屑のようになり、
お互にその顔を見合せ、ぶるぶるふるえ、声もなく泣きました。」
そして、最後の2行はというと、
「しかし、さっき一ぺん紙くずのようになった二人の顔だけは、東京に帰って
も、お湯にはいっても、もうもとのとおりになおりませんでした。」
その『注文の多い料理店』の題名から変な連想、
中国版や韓国版の『注文の多い料理店』そのどちらも
丸裸にされてしまいかねない夢から目覚めますように。
まあ、それやこれや、夏は怪談。
小泉八雲の『耳なし芳一』をひらくことに、
「ある夏の夜、和尚は亡くなった檀家の家へ法事に呼ばれた。
小僧を連れて行ったので寺には芳一がひとり残された。
暑い夜で盲目の芳一は寝間の前の縁側で涼を取っていた。
縁側は阿弥陀寺の裏の小さな庭に面していた。
そこで芳一は和尚の帰りを待ちながら、
琵琶を弾いて淋しさをまぎらわしていた。
真夜中も過ぎたが、和尚はまだ戻らない。しかし
寝間の内にはいるにはまだあまりに暑かったので、
芳一は外に残っていた。・・・・・ 」
( p15 講談社学術文庫「小泉八雲名作選集 怪談・奇談」 )
この文庫本には、『夢応(むおう)の鯉魚(りぎょ)』という
話しも載っておりました。
それは、近江の国の三井寺の僧・興義の話でした。
「ある年の夏、興義(こうぎ)は病の床に臥した。
七日間病み、もはやものを言うことも、からだを動かすこともなく
なってしまったので死んだようにみえた。
ところが葬式をすませたあと、弟子たちは遺体に温もりのある
ことを発見し、しばらく埋葬を延期して亡骸とおぼしきものの
そばで見守ることにした。その日の午後、興義は突然蘇生した。」(p207)
はい。死んだように見えた間、
興義は、魚になって泳いでいたというのでした。
そして、旧友の文四の釣針につかまってしまったのだというのです。
「 ・・・『 たとえ文四につかまっても、
よもや危害を加えることはあるまい。旧友だもの 』・・ 」
そして魚になっていた興義は、飢えから餌にくらいついたのでした。
「わたしは、がぶりとまるごと飲みこんだ。その途端、
文四は糸をたぐり、わたしを捕えた。わたしは叫んだ。
『 何をする、痛いじゃないか 』
けれども彼はわたしの声が聞こえないように、
素早くわたしの顎に縄を通した。それから、
わたしを籠(びく)に投げこみ、君の館へ運んでいった。
館で籠が開けられたとき、君と十郎が南向きの部屋で碁を打ち、
掃守が桃を食べながら見物しているのが見えたというわけだ。
君たち三人は、すぐに縁側に出てきてわたしをのぞきこんだ。
そうしてこんな大きな魚は見たことがないと喜んだ。
わたしは、あらんかぎりの大声で君たちに向かって叫んだ、
『わたしは魚じゃない、興義だ、僧の興義だ。お願いだから寺に返してくれ』
その瞬間、刃ものが自分を切り裂くのを感じた――ひどい痛みだった!
――そのとき、突然わたしは目ざめ、気がつくとこの寺にいた・・・・ 」
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