庄野潤三著「野菜讃歌」(講談社・1998年) の最後には、
日本経済新聞に掲載された「私の履歴書」がありました。
庄野潤三氏の家のことが、気になります。
たとえば、仏壇はあるのだろうか? とかね。
「 大きなかめ 」はあることがわかりました。
『 私の書斎に大きなかめが置いてある。古備前の水がめ・・ 』
( p239 「野菜讃歌」 )
『 ・・ピアノの近くに置いてある。水がめなのに、
不思議にピアノのそばにあるのがよく似合う。
家の中にあっても、ちっとも気にならない。
ときどき、掌でさすってみる。 』( p241 同上 )
さて、『私の履歴書』から抜き出しているのですが、
履歴書の最後から引用しておきます。
『 書斎のピアノの上に父と母の写真を置いてある。
毎朝、朝食の間に妻はお茶をいれて、
この写真の前へ持って行く。それが私たちの一日の始り。 』
( p251 )
どうやら、庄野家には、仏壇がないらしい。
『 父母の命日、二人の兄の命日にかきまぜを作って、
ピアノの上にお供えし、二人で手を合せる。お盆やお彼岸にも作る。
・・長男と・・次男に知らせて、取りに来させる。
会社が休みの日で、次男が車に子供を乗せて来ると、
先ずピアノの前に並んで手を合せてくれる。
私も妻もうしろで手を合せる。 』 ( p252 )
この『私の履歴書』の最後は、
大坂へお墓参りに行った際に、
『 ・・帝塚山の兄の家へ行って、お仏壇に手を合せる。・・ 』(p253)
という箇所がありました。
うん。やはり、東京の庄野家には仏壇はないようなのです。
ちなみに、お墓については、長女の夏子さんの文にありました。
『 ・・父と母はよく訪ねてきてくれて、
サンドイッチや昼寝を楽しんでいました。
ある時、近くのお寺に案内しました。
深い山の中に静かに建つ、曹洞宗の立派なお寺です。
明るい墓地は小鳥のさえずりが聞こえ、
お正月は大人も子供もお参りに来て
『 おめでとう 』の声があふれます。
先祖を大切にする父は、とても気に入り、
ここにお墓を作りました。
南足柄市にある、玉峯山長泉院です。
私にお墓のお守りを託したのだと思います。・・ 』
( p78 「 庄野潤三の本 山の上の家 」 )
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