和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

とてもようしよらん

2024-06-21 | 思いつき
曽野綾子著「揺れる大地に立って 東日本大震災の個人的記録」
( 扶桑社・2011年9月10日発行 )に
スイス連邦法務警察省発行『 民間防衛 』という本が紹介されていました。

その紹介しながら、
「備品の中に聖書があるというのもスイスらしい。 
 日本だったらもちろんお経文を持ち込む人もいるだろう。
 両親や妻子の写真が代わって、人を勇気づけることもあるだろう。
 何でもいいのだ。人間は敬い、愛するものを持たねばならない。 」
                        ( p113~114 )

ところで、このすこし前に「 南極越冬隊の装備 」という言葉があって、
あれっと、おもいました。

「 人間の性格はそれが世間通りの
  いいものであれ悪いものであれ、
  使いようということはあるのである。
  だから私は一度、南極越冬隊の装備を
  手がけてみたいとさえ思ったことがある。 」(p113)

ここに『 南極越冬隊 』という言葉がある。
そうだ、と思い浮かぶのは西堀栄三郎著「南極越冬記」でした。
梅棹忠夫氏が、その本ができるまでを書いていたのが印象的でした。
そこを引用。南極越冬から帰ってきた西堀氏の様子からでした。

「西堀さんは元気にかえってこられたが、それからがたいへんだった。
 講演や座談会などにひっぱりだこだった。
 越冬中の記録を一冊の本にして出版するという約束が、
 岩波書店とのあいだにできていた。

 ある日、わたしは京都大学の桑原武夫教授によばれた。
 桑原さんは、西堀さんの親友である。桑原さんがいわれるには、

『 西堀は自分で本をくつったりは、とてもようしよらんから、
  君がかわりにつくってやれ  』という命令である。・・・

 まあ、編集ぐらいのことなら手つだってもよいが、
 いったい編集するだけの材料があるのだろうか。
 ゴーストライターとして、全部を代筆するなど
 ということは、わたしにはとてもできない。

 ところが、材料は山のようにあった。
 大判ハードカバーの横罫のぶあついノートに、
 西堀さんはぎっしりと日記をつけておられた。
 そのうえ、南極大陸での観察にもとづく、
 さまざまなエッセイの原稿があった。

 このままのかたちではどうしようもないので、
 全部をたてがきの原稿用紙にかきなおしてもらった。
 200字づめの原稿用紙で数千枚あった。これを編集して、
 岩波新書1冊分にまでちぢめるのが、わたしの仕事だった。

 わたしはこの原稿の山をもって、熱海の伊豆山にある
 岩波書店の別荘にこもった。全体としては、
 越冬中のできごとの経過をたどりながら、
 要所要所にエピソードをはさみこみ、
 いくつもの山場をもりあげてゆくのである。

 大広間の床いっぱいに、ひとまとまりごとに
 クリップでとめた原稿用紙をならべて、
 それをつなぎながら冗長な部分をけずり、
 文章をなおしてゆくのである。

 ・・・どうやらできあがった。この別荘に
 一週間以上もとまりこんだように記憶している。・・ 」
        
    ( p15~16 「 西堀栄三郎選集 別巻 西堀栄三郎追悼 」 ) 


はい。私はたまたま『 安房郡の関東大震災 』と題して
1時間ほどの講習をするのですが、
『安房震災誌』と『大正大震災の回顧と其の復興』の2冊だけで
その内容の材料は山ほどありました。 
そこから、それこそ曽野綾子さんも登場させながら、
冗長な部分を削りながら、時間内に語る内容を編集吟味する。
「クリップでとめた原稿用紙をならべて」なおしてゆく。
講習録を作るとして、それまでに、あと2ヶ月。         

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