アンソロジーを選ぶ人って、いったいどんな選択基準なのか?
そんな思いで丸谷才一著「文章読本」(中央公論社・昭和52年)をひらく。
その第二章は、「名文を読め」でした。ここから引用。
「 有名なのが名文か。そうではない。
君が読んで感心すればそれが名文である。
たとへどのやうに世評が高く、
文学史で褒められてゐようと、
教科書に載つてゐようと、
君が詰まらぬと思つたものは駄文にすぎない。
逆に、誰ひとり褒めない文章、
世間から忘れられてひつそり埋れてゐる文章でも、
さらにまた、いま配達されたばかりの新聞の論説でも、
君が敬服し陶酔すれば、それはたちまち名文となる。
君自身の名文となる。・・・ 」( p26 )
このあと、丸谷氏は『ただし』とつなげてゆくのでした。
「 ただしここで大切なのは、広い範囲にわたつて多読し、
多様な名文を発見してそれに親しむことである。
これは、わたしのすすめた、君自身の名文との・・・
独断的な関係がともすればもたらしがちな幣を補ふのに、
ずいぶん役立つだらう。
それが文章の初心者の幼い趣味を陶治し、
洗練してくれることは言ふまでもない。
第一、われわれの文章のあつかはねばならぬ主題はおびただしく、
われわれの文章の伝へねばならぬ気分は数多い。
それゆゑ必然的に文章の手本は多種多様でなければならない。」(p27)
それでは、アンソロジストの丸谷才一氏は、それからどうしたのか?
はい。『 ただしここで大切なのは、広い範囲にわたつて多読し、
多様な名文を発見してそれに親しむことである。 』とある。
『文章読本』を発表した、33年後の1999年に
丸谷才一著『新々百人一首』を出します。
丸谷さんが『大切にした』広範囲にわたって多読し、
多様な名文を発見し、それに親しんだ成果を
百人一首と限定して、提示してくれています。
はい。わたしは、まだ読んでおりません(笑)。
短歌も同じですね。
短歌は、たった一人の心を打ったら十分だとよく言われます。
コメントありがとうござます。
わたしが今回読みかえして、
気になったのは『ただし』
からの言葉でした。
再読楽しめました。