産経新聞の1月4日に掲載されていた
平川祐弘と今泉宣子の対談が、
今年のこのブログの方向を指し示してくれているようで、
あらためて、思い浮かべてしまいます。
平川祐弘氏は、ある注でご自分のことをこう指摘しております。
『私は話の下書きを用意する人間で、その場の感情に流されることはない』
(月刊Hanada令和3年12月号・p356)
そういえば、今年の4日の産経新聞での対談の写真に、
一人掛けのソファーに座る平川氏の左手には下書きの
ような用紙が握られておりました。
おそらく、あらかじめ質問事項に対する返答を吟味して
おられたその下書きなのじゃないかなあ。
ということで、新聞の対談から、あらためて引用することに。
今泉】 晩年の竹山先生と神道について語ったと伺っていますが。
平川】 当時、神道について公の場で話すのはタブーでした。
竹山の母方は神道家の出です。
『竹山道雄著作集』(福武書店)8巻本が、
竹山先生の亡くなる前年の昭和58年に出て、
私も手伝いました。これができたとき、
竹山夫婦と私と妻の四人で京都を巡りました。
二日間、お寺を回って、最後に行ったのが下鴨神社でした。
私が『神社はほっとしますねえ』と言ったら、
竹山先生も『ほっとするねえ』と応じたことが思い出されます。
その年、佐伯彰一先生が東大を定年退職するとき
『自分は富山の神道の家の出だ』と≪信仰告白≫した。
彼は25年にガリオア奨学金でいち早く渡米しました。
当時、米国入国の文書に『宗教』の記入欄があって、
『神道と書いたら入国が許可されないのではないか』
と考えたそうです。仏教と書くわけにもいかないので、
思い切って神道と書いたのだと。
その気持ちは、私によく分かります。
当時は神道はそれほど悪者扱いされていた。 」
はい。毎年散漫な読書ですが、読書の漠然とした方向性が
この新春対談で汲みあげられたような気がします。
『それほど悪者扱いされていた』ものを取りあげてゆきましょう。
うん。そうしましょう。という大まかな方向性が指し示された
というそのような新年の対談でした。
まあ、私の事ですから、大まかな方向性ですけれども。
問題としての手応えはありますよね。
昨日、手にした古本は300円でした。
松坂弘著「岡野弘彦の歌」(雁書館・1990年)。
はい。岡野弘彦氏というのは、どのような方なのか
一から教えてもらおうと購入。するともうはじまりに
こうあるのでした。な~んだ。そうだったのか。
岡野弘彦氏を語るのに、ここがはじまりだったのでした。
という箇所を引用。
「岡野弘彦の最初の短歌的体験は、五歳の時だったという。
岡野はこのことについて『岡野弘彦 短歌に親しむ』という
本の中で、次のように述べている。
『はじめて短歌を暗唱したのは、五つの時でした。
伊勢と大和の国ざかいに近い山深い村の神主の長男に生まれた私は、
五つの正月から、父に代わって若水をくみに行くようになりました。
伊勢平野をうるおす雲出(くもず)川という川の一番上流の一軒家です。
雪の降り積んだ真夜中の道を神社の御手洗(みたらし)場にくだって
いって、上流にむかって柏手(かしわで)をうったのち、
父に教えられた昔からのとなえごとを三度となえます。
今朝くむ水は 福くむ水くむ 宝くむ 命ながくの 水をくむかな
これが短歌かと奇妙に思われる方もあるでしょう。
内容は素朴で、形もやや破調ですが、五七五七七の形で
思いがのべられているものを短歌だとするなら、
これも一人前の短歌なのです。』
自覚の程度のことは別にしても、五歳という年齢での
短歌的体験は大変早熟というべきで、ちょっと驚かされる。
しかし、一般の家庭と違い、神主の家では、幼い頃から
祝詞などの律文に接する機会が多いと思われるので、
この作者の短歌的体験が五歳であるというのは、
あるいは、驚くほどのことではないのかもしれない。」(p5~6)
はい。岡野弘彦氏が最初に覚えた歌。
その書き方の3種類を並べておくことに。
私が読んだその順番で
①朝日新聞(夕刊)1998年9月17日
「語る岡野弘彦の世界」(インタビュー・構成・川村二郎)
今朝(けさ)汲む水は 福汲む水汲む宝汲む
命永くの水を汲むかな
②「岡野弘彦インタビュー集」本阿弥書店・2020年
聞き手・小島ゆかり。
「今朝汲む水は福汲む、水汲む、宝汲む。命長くの水を汲むかな」
と三遍唱えて・・・(p20)
③松坂弘著「岡野弘彦の歌」(雁書館・1990年)p6
今朝くむ水は 福くむ水くむ 宝くむ 命ながくの 水をくむかな
うん。些細な比較なのかもしれませんが、
今年のお正月に、私は水道水をコップに注ぎながら、
この歌をとなえたのでした。
となえる身となると、この句切り方が気になります。
母の弟が戦地から帰って来て、『戦場で部下を沢山死なせてしまったから・・・」と、神主の資格を取った・・・と母から聞いたことがあります。 幼かった私はいつも冗談ばかり言って笑わせてくれた叔父の気持ちなど分かろうはずもなく、ただどうしてお坊さんではなく神主さんになったのだろう・・・と素朴な疑問を抱いたことを思い出しました・・・
神道についてこちらで学ぶきっかけになるかも・・・と期待しておりますが・・・ とんだお門違いの期待でしたら、お笑いください。
とりあえず、言ってしまうものですね。
というか、書いてしまうものですね。
何日かすると、すっかり忘れる私ですが、
それでもね、書いてみれば、
ポンと、背中を叩いてくれる人がいて、
ポンと、ありがたいコメントを下さる。
いつのまにか、脱線したり、
枝葉末節に迷いこんだりで、
肝心な今年のテーマを度忘れしてしまう
ことがないように、お見守りくださいね。
はい。これで今年のブログのテーマへの
立ち合い証人がお一人できた気がします。
うん。ということでよろしいでしょうか。