新春対談というと、思い浮かべる対談があります。
文芸春秋1971年3月号に掲載された司馬遼太郎・桑原武夫の対談。
もっとも、私は単行本に掲載された際に読んで印象に残りました。
最後の方に、こんな箇所があったのでした。
司馬】 ですから、日本語というか、日本語表現の場所は、
もうどうしようもないものがあるのかもしれない。
桑原】 いや、日本語はもうどうしようもないと、
あきらめに話をおとさずに・・・・、
正月早々だから・・・(笑)。まあ、日本語は、
いままで議論したように、基礎はできた。・・
そして、新春対談の最後の箇所を引用することに
桑原】 さっき司馬さんがおっしゃった、
理屈が十分喋れて、しかも感情表現が豊かな日本語・・
そこに持っていくのは、われわれ生きている者の
義務じゃなでしょうか。
司馬】 いい結論ですね。
はい。今日は2022年1月27日。
今は、正月早々じゃないのだけれども、
現在、『いい結論』へと持っていけていますか。
とか、他人まかせがいけませんね。
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