詩仙堂。
2021-03-22 | 京都
古本をめくりながら、京都にいる気分を味わう。
ということで、京都関連の安い古本があればと、
そのつど、買うようにしてます。
竹村俊則著「昭和京都名所図会・洛北」
古本で300円でしたので、買いました。
まったく、お寺というか、京都の神社仏閣などは、
今でいう美術館ですね。襖に絵や書が描かれてはいる、
なかには、天井にまで龍がのたくっているのですから。
はい。パラリと、ひらいた箇所は「詩仙堂」。
その解説をたのしみます。
「・・・左京区一乗寺門口町にある。
正しくは詩仙堂丈山寺(じょうざんじ)といい、
曹洞宗に属する寺であるが、石川丈山隠栖の山荘址として世に名高い。」
ご本人の紹介ははぶくことにして、その家の様子は
「詩仙堂と号したのは、その一室(詩仙ノ間)に
漢・晋・唐・宗の詩人36人の肖像をかかげるによる。
それより寛文12年(1672)5月23日、90歳で没するまでの
30余年間、ここで煙霞(えんか)にうそぶき、風月に吟じ、
琴を撫してゆうゆう自適の生活をすごした。
かつて後水尾天皇の御招をうけたことがあったが、
渡らじな瀬見(せみ)の小川の浅くとも老の波そふ影もはづかし
との一首の歌を奉って拝辞したという。
丈山の没後、詩仙堂の管理は在住者のしばしばの変遷によって
堂宇は廃頽し、庭園も荒廃するに至った。・・・・
すでに邸内は草ぼうぼうと生え、ようやく荒れようとしていた・・
その後・・尼僧潜山(せんざん)禅尼が寛永元年(1748)閑院宮家の
庇護によって再興し、さらに昭和42年(1967)に至って現在の如く
改修された。
竹藪におおわれた境内は隠者の家にふさわしく草庵風とし、
入口の表門には『小右洞(ゆうどう)』、中門には『梅関(ばいかん)』、
路地には『凹凸窠(おうとつか)』としるした丈山筆の額を掲げる。
建物は仏間と居間(詩仙ノ間)と
屋上の嘯月楼(ちょうげつろう)からなっている。
仏間は玄関を入った右手にあり、
居間はその左手にあって、丈山自筆の『詩遷堂』の額を掲げ、
四方の長押(なげし)上には丈山が詩を、
狩野探幽・尚信が肖像を描いた三十六枚の詩仙の額を掲げる。
・・・・・・
建物の南にひらける枯山水の庭園は、東に滝をつくり、
水の流れに沿ってツツジやサツキの刈込みがあるが、
その他は一面に白砂を敷いて、
青山(せいざん)と海洋の景趣(けいしゅ)をあらわしている。
僧都(そうず)は庭の奥にある。添水とも記す。
一本の竹筒が、筧(かけひ)の水の重さであふれ落ちると、
筒が下の石につきあたって音を発し、これによって
しのびよる鹿猪(ろくい)を逐(お)いはらったといわれ、
丈山の考案によるとつたえる。」(p41~42)
43ページには、俊則画による白黒の詩仙堂の風景がある。
はい。「肖像を描いた三十六枚の詩仙の額を掲げる」
とあるのは、まるで学校の音楽教室にならんでいた作曲家の
顔絵なんかを思い描いてしまいます。詩人の肖像が並ぶ部屋
ならば、今なら「詩仙教室」とでも呼びましょうか。
はて、丈山筆の額というのは、どんななのだろう、
どんなふうに詩仙堂になじんでいるのでしょうね。
これだけで、まるで300円の拝観料で、
見てきたような気分にひたるのでした。
ということで他のページはそのままに、
またあらためてと、本棚にもどします。
何度か訪れたことがありますが
もうずっと前のことです。
静かな庭に ししおどしの音が
カーンと響いていたのを記憶しています。
36枚の額 というのは
はっきり記憶がなくて~
どこかのお寺の36歌仙の絵と 混同してしまっているかも。。。
コメントありがとうございます。
そうですか、
詩仙堂に何度か訪れたのですね。
一度も訪れたことがないわたしは、
活字の中の詩仙堂を訪ねるばかり。
ドナルド・キーンさんが角田先生に
謡曲を習ってからあとに、日本で
能舞台をはじめて見たことを書いているのを
思い浮かびました。
「はじめて実際の能舞台で『松風』を
見たときには、非常に失望した。
大学での私は『松風』を文学として読んだ。」
(「日本文学のなかへ」p56)
うん。わたしも実際の詩仙堂に
出かけたら失望するところまでは
いかなくても、ガッカリするかも(笑)。