関容子著「日本の鶯 堀口大學聞書き」(岩波現代文庫)を、読んでたのしかった。
このたのしさを、他の方はどう語っておられるか。それをたどるのも、これまた楽しみ。
ということで、以前にでた講談社文庫の「日本の鶯」を、古本で注文。
それが届きました。講談社文庫での解説は河盛好蔵氏。
それは、堀口大學氏のお通夜の晩のことから、書き出されておりました。
そして、「日本の鶯」を遅まきながら読んでの感想が以下に語られておりました。
「・・有り難いことに関さんは早速この本を送って下さったので、遅まきながら、私も愛読者の仲間に加わることができ、たくさんのことを教えられるのみならず、私自身の堀口論のなかでもしばしば引用させて頂いた。全く『日本の鶯』は堀口大學を研究し、理解するための世にも貴重なモノグラフィーであって、これだけ行き届いた聞書きをよくぞ作って置いて下さったと、私たち堀口ファンは心から感謝している。・・・多年堀口先生の人と作品に親炙してきた者の一人として、この本を読みながら、目からウロコの落ちる思いをしたことが少なくない・・」
もう一箇所。
「この聞書きは一ヵ月一回の割りで、それが十五回も続くという、聞く人にも、更にそれ以上答える人に努力と忍耐を要求する気の重い仕事であるが、回を重ねるに従って、両者の息が次第に合ってくるのは読者にもよく分かり、思わず話のなかに、こちらも割り込んでゆきたくなるのは、本書のこの上もない魅力になっている。」
六ページほどの河盛好蔵氏の解説を読めてよかった(笑)。
さてっと、あとは
「丸谷才一批評集第五巻 同時代の作家たち」(文藝春秋)
丸谷才一著「挨拶はたいへんだ」(朝日新聞社)
「河盛好蔵 私の随想選 第五巻 私の日本文学Ⅱ」(新潮社)
に、堀口大學が読めるのでした。そちらも覗いてみましょう。
ちなみに、岩波現代文庫の解説で、丸谷才一氏は
こうも語っておりました。
「・・・わが国最初の聞書きの名手が篠田鉱造であることは、わたしが改めて言ひ立てるまでもなく、すでに名声が確立してゐるが、その先駆者の業績の最も優れたものは、男から話を聞いての『幕末百話』や『明治百話』ではなく、女たち相手の『幕末明治 女百話』であるやうに見受けられる。昭和になってからの仕事だから、かなりの年配の人たちばかりから聞き出したものだが、それでも明治初年、おそらく旧幕臣の子弟として東京赤坂に生れ、報知新聞記者となつた、これもかなりの年の人物の男としての魅力が老女たちに作用して、それで昔語りを引出すことにこれだけ成功してゐるやうに思はれてならない。ここでもまた性差が霊験あらたかな力として作用してゐた。まつたく同じことが『日本の鶯』の場合にも見て取れる。・・・・」
読む読まないは別にして、
ついつい、『幕末明治 女百話』を古本で注文(笑)。
このたのしさを、他の方はどう語っておられるか。それをたどるのも、これまた楽しみ。
ということで、以前にでた講談社文庫の「日本の鶯」を、古本で注文。
それが届きました。講談社文庫での解説は河盛好蔵氏。
それは、堀口大學氏のお通夜の晩のことから、書き出されておりました。
そして、「日本の鶯」を遅まきながら読んでの感想が以下に語られておりました。
「・・有り難いことに関さんは早速この本を送って下さったので、遅まきながら、私も愛読者の仲間に加わることができ、たくさんのことを教えられるのみならず、私自身の堀口論のなかでもしばしば引用させて頂いた。全く『日本の鶯』は堀口大學を研究し、理解するための世にも貴重なモノグラフィーであって、これだけ行き届いた聞書きをよくぞ作って置いて下さったと、私たち堀口ファンは心から感謝している。・・・多年堀口先生の人と作品に親炙してきた者の一人として、この本を読みながら、目からウロコの落ちる思いをしたことが少なくない・・」
もう一箇所。
「この聞書きは一ヵ月一回の割りで、それが十五回も続くという、聞く人にも、更にそれ以上答える人に努力と忍耐を要求する気の重い仕事であるが、回を重ねるに従って、両者の息が次第に合ってくるのは読者にもよく分かり、思わず話のなかに、こちらも割り込んでゆきたくなるのは、本書のこの上もない魅力になっている。」
六ページほどの河盛好蔵氏の解説を読めてよかった(笑)。
さてっと、あとは
「丸谷才一批評集第五巻 同時代の作家たち」(文藝春秋)
丸谷才一著「挨拶はたいへんだ」(朝日新聞社)
「河盛好蔵 私の随想選 第五巻 私の日本文学Ⅱ」(新潮社)
に、堀口大學が読めるのでした。そちらも覗いてみましょう。
ちなみに、岩波現代文庫の解説で、丸谷才一氏は
こうも語っておりました。
「・・・わが国最初の聞書きの名手が篠田鉱造であることは、わたしが改めて言ひ立てるまでもなく、すでに名声が確立してゐるが、その先駆者の業績の最も優れたものは、男から話を聞いての『幕末百話』や『明治百話』ではなく、女たち相手の『幕末明治 女百話』であるやうに見受けられる。昭和になってからの仕事だから、かなりの年配の人たちばかりから聞き出したものだが、それでも明治初年、おそらく旧幕臣の子弟として東京赤坂に生れ、報知新聞記者となつた、これもかなりの年の人物の男としての魅力が老女たちに作用して、それで昔語りを引出すことにこれだけ成功してゐるやうに思はれてならない。ここでもまた性差が霊験あらたかな力として作用してゐた。まつたく同じことが『日本の鶯』の場合にも見て取れる。・・・・」
読む読まないは別にして、
ついつい、『幕末明治 女百話』を古本で注文(笑)。
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