和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

世話焼きのおばさん。

2025-03-06 | 産経新聞
産経新聞2025年3月5日の一面左上に
『 曽野綾子さん死去 』とありました。
「 2月28日、老衰のため死去した。93歳。葬儀は近親者で行なわれた。 」
と伝えております。
今日(3月6日)の産経新聞一面コラム「産経抄」に
その追悼文が載っておりました。そのはじまり

「 いつからか、作家の三浦朱門さんは妻を
  『 おばさん 』と呼ぶようになった。
  呼ばれた曽野綾子さんは、納得していたようである。
  『 家事はできるし、ご飯も食べさせてくれる。
    それでいて、母親ほど煩(うるさ)くはない 』
  からだろう――と

 ▼ ・・・・曽野さんの持論を知って腑に落ちた。
   『 滑稽な夫婦は安定がいい 』。
   滑稽とは弱みをさらけ出し、弱みを愛せる関係のこと。
   そんな夫婦は強い、と書いていた。            」


はい。コラムの前半です。真中を端折って、コラムの後半も引用。

「 自身を『 世話焼き 』と呼んだ曽野さん・・・
  ・・・聖書の一節を愛唱したと聞く。
  人のために尽くせば、救われた多くの人が次の時代を創ってくれる。
  だから命ある限り働き、老いも死も抗わず受け入れる――。
  そんな死生観もつづっていた。

  ▼・・・・三浦さんが平成29年に他界した後も、
   小紙でエッセー『 透明な歳月の光 』をしばらく続けていただいた。
   読者の一人として感謝の念も寂しさも尽きないものの、
   夫婦水入らずの時間を曽野さんにお返しする。   」


はい。私は小説は読まないので曽野綾子の本はほとんどが未読。
今思い浮かぶのは、「東日本大震災の個人的記録」と副題がある
曽野綾子著「揺れる大地に立って」(扶桑社・2011年9月10日)でした。
これは、東日本大震災直後新聞雑誌に掲載された文をまとめたものです。

「幸か不幸か地震と共に私は、たくさんの原稿を書くことになった。
 私はいつも周囲の情況が悪くなった時に思い出される人間なのではないか、
 と思う時がある。 」( p27 )


曽野綾子は1931年(昭和6年)生まれ。本のはじめにはこうもありました。

「私と私の世代は、この世に安全があるなどと信じたことがなく育った。」
                        ( p19 )
「 今度の地震でも、比較的老年の人は
  ほとんど動揺を示さなかった。多くの人は、
  幸福も長続きはしないが、
  悲しいだけの時間も、また確実に過ぎて行く、
  と知っている。
  どん底の絶望の中にも、
  常に微かな光を見たからこそ、
  人は生き延びてきたのだという事実を体験しているのである。 」(p20)


うん。この年代の方々が、ごそっと居なくなってしまった。
そんな思いを抱かせる『 おばさん 』なのでした。
  

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