和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

喜び祝えと、われわれに。

2023-05-05 | 詩歌
金田一春彦著「童謡・唱歌の世界」(主婦の友社・TOMO選書・昭和53年)。
この本の中の「 わらべうたの言葉 」(p114~138)が印象に残ります。

私が特に印象に残ったのは、ここでした。

「子どもは簡明・直截(ちょくせつ)な表現を喜ぶ。
 それがわらべうたにまず反映する。

 おとなの場合には、
『 恐れ入りますが、おいでいただけませんでしょうか 』とか
『 おいでくださいましたら、ありがたいのですが・・ 』とか言うのが、

 子どもの場合は、簡単に『 来い! 』と言う。

   ほたる来い!  行灯の光をちょっと見て来い!

 と言うのも、夕焼け空を見ては、
   
   あした天気になァれ

 と叫ぶのも、その例である。
 意気地のない子どもにたいしては、

   弱虫毛虫、挟んで捨てろ

 とはやす。 
 学校文法で言う、≪命令形≫がふんだんに出てくる・・・・  」(p116)


そういえば、田村隆一に『命令形』と題する詩がありました。
うん。全文引用したくなります。

       命令形     田村隆一

    ゆき
    ゆき
    もっと ふりなさい

   狐のような女の詩人が歌いながら
   ぼくの夜の森から出て行ったが
   この歌の命令形が好きだ

   追ってゆきなさい、詩人よ、まっすぐ追って
   夜の奥底までもゆきなさい、
   束縛をとき放つあなたの声で
   喜び祝えと、われわれにすすめてください。

   ライオンのような詩人が
   心の病いをいやす泉をもとめて
   死せるアイルランドの詩人に祈った命令形が好きだ

   人は人に命令できない
   命令形が生きるのは
   雪
   そして詩の構造の光と闇の
   谷間にひびく
   人間の言葉


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もともと唱歌にはそれほど。

2023-05-04 | 詩歌
うん。唱歌の賛同者をさがしたくなります。

ということで、金田一春彦著「童謡・唱歌の世界」(TOMO選書・昭和53年)
を古本で買ってみる。

パラリとめくれば、こんな箇所

「 私はもともと唱歌にはそれほど価値を認めず、
  いわゆる童謡の類を高く買っていた。

  今度も実は童謡集を出したかったのであるが、
  出版元で唱歌の方を是非先にと言うので
  多少疑いながら手がけてみたものだった。・・  」(p52)

こうして
「 安西愛子さんと共編で講談社から出した
 『日本の唱歌(上)明治篇』という文庫本は・・・

  唱歌を163曲ばかりすぐって、歌詞と解説を載せたものだが、
  その反響の大きいのに驚いた。毎日のように葉書が束になって
  郵送されるのである。 」(p51)

はい。このあとに、反響の一端を紹介する金田一さんでありました。

「 それも、たとえばフランス文学の河盛好蔵氏は、奥様とどっちが多く
  知っているか競争して歌いあい、半日楽しまれた、と言われる。

  医学博士の緒方富雄氏は、喜寿の誕生日に子や孫たちの前で
  奥様と合唱され、アンコールにこたえてまた歌われたと、
  これまた楽しそうな様子を披露される。

  みずから回顧院過去反芻居士と号される渋沢秀雄氏に至っては、
  便箋四枚を使って一つ一つの歌についての感慨をぎっしり綴られ、
  それでもまだお書きになりたいことがある趣であった。 」(p51)

こうして、金田一さんは『改めて唱歌のもつ威力に舌を巻いた』のでした。
そのあと、『が、考えてみれば・・』と考察をしはじめるのでした。

うん。だれだって唱歌をはじめにもってくるのは、
きっと何かのきっかけとかが必要なのでしょうね。

そうして、考察がはじまる。金田一さんは、こう考えていました。

「またその頃の唱歌は、子どもの時に学校で教わる歌であっても、
 おとなが歌っておかしくないものばかりであった。

 これは子どももいずれおとなになるからという考えから発した
 やり方であったが、思えば、当時の教育は、子どもをむやみに甘やかさず、
 なかなかしっかりしていた。

 近頃の歌で、『泳げ、鯛焼き君』ぐらいは年をとっても歌えるだろうが、
 『山口さんちのツトム君』などはきまり悪くて歌えそうもない。

 また、当時の唱歌は何といっても真面目な態度で作ってあり、
 これは今歌詞を読んでみても気持ちがよい。 」(p52)

このあとに、金田一さんは考えをつけくわえます。

 『 私もここで考えを改めなければいけないようだ。 』


こうして、童謡のほうがいいと思っていた金田一さんでしたが、
ここで、あれこれと考察をはじめられておりました。

「・・どこがいいのか。何よりそれは真面目であるということだ。
 ラジオを聞いても、テレビを見ても、この頃ふざけ半分の音楽に接する
 ことが多い。奇声をあげたり、リズムをこわしたり、音階をはずしたり、

 それはやはり計算の上でやっているのだろうけれども、
 ふざけて破目をはずしたりが目的でやっているとしか見えないものもある。

 そこへ行くと唱歌は真面目である。題材から言っても、形式から言っても、
 私はそこに襟を正したくなる気持ちを禁じえない。

 私は唱歌に明治以来の日本人の一生懸命さを見る。・・・・ 」(p49)


うん。金田一さんの唱歌への反響による手応えからの考察を楽しめます。
唱歌好きの輪が、読むたびに広がるようで
ここはひとつ、講談社文庫の「日本の唱歌」を注文することに。
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ああ、いいなあ・・。

2023-05-02 | 詩歌
芥川也寸志編・安野光雅絵「歌の絵本」講談社の
古本が今日届く。すかさず届く本は嬉しいですね。

さっそくひらく。1ページに歌詞が1つなのですが、
数ページゆくと、見開き両方に海が上から3分の2ほどひろがる
下の方が砂浜で、一番下は谷内六郎ふうの漁村の屋根が並んでいます。
列車に乗っていて、思わず海岸線が見渡せたような高揚感がありました。

そこには文部省唱歌の『我は海の子』が六番までと、残りの箇所には
「松原とおく さゆるところ」とはじまる『海』が載っておりました。

はい。次のページはといいますと、見開きが下から砂山が3分の2ほど
見開きの左が砂山の山にあたり、右のページへゆくにしたがって傾斜し
そこに海がひろがりかけている。
その右ページは、「うみはひろいな おおきいな」とはじまる『うみ』。
その左ページは、北原白秋の『砂山』。

まあ、とりあえずパラパラとめくってゆくと、
ありました、野口雨情の『しゃぼん玉』。

ちくまプリマー新書「世にも美しい日本語入門」で
藤原正彦さんが、シャボン玉の歌詞を引用したあとに

「これは野口雨情が、長女をわずか七日で亡くした時に作ったものです。
 この話を聞いてから、この歌を聞くたびに目頭が熱くなります。」(p93)

最後には、楽譜のページがあるのですが、
その前に、芥川也寸志氏の1ページの文がありました。
その芥川氏の文の最後はというと、

「 この歌の絵本は、いわば、ああ、いいなあ・・ということを、
  人一倍強く感じている畏友安野光雅さんの発案になるもので、

  私はただ、安野さんの尻馬に乗ったにすぎない。
  しかし、こんなすばらしい絵本を作るおてつだいができて、

  私はいま、幸福感に満たされている。どうか、安野さんの絵を
  じっくりとごらんになり、そこに載っている歌を、
  しみじみと味わいながら歌ってみていただきたい。 」(p33)


うん。てっきり五月の連休明けかなあと思っていたので、
思いがけない贈り物が届いたようで、うれしくなります。

はい。最後に

        しゃぼん玉  

   一 しゃぼん玉とんだ
     屋根までとんだ
     屋根までとんで
     こわれて消えた

   二 しゃぼん玉消えた
     とばずに消えた
     うまれてすぐに
     こわれて消えた

     風風吹くな
     しゃぼん玉とばそ  



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よーくきいてごらん。

2023-05-01 | 短文紹介
安野光雅・藤原正彦対談「世にも美しい日本語入門」 

( ちくまプリマ―新書・2006年 )

この新書の最後に、引用作品一覧が載っていました。
安野光雅関連では

芥川也寸志編纂、安野光雅画「歌の絵本—日本の唱歌より」講談社1977年
安野光雅著「大志の歌」童話屋2005年
安野光雅著「絵本歌の旅」講談社2005年

なんて絵本が並んでおりました。
唱歌を、絵で表現するっていうのが何だか気になるので
とりあえずは、一番最初の本を注文しておきました。

さて、この新書のなかに

安野】 唱歌は学校で習い、童謡はラジオなどから流れてくる。
    でも、私が子どもの頃は、ラジオはたくさんありませんでした。

   ・・・この二つ(唱歌と童謡)は、うがった見方をすると、
   経済問題が背景にあったんじゃないかと思います。

  文部省唱歌は学校で習うものですから、それが広く歌われたところで、
  誰も儲かるものはいません。あれほど広く歌われても
  印税問題はありませんし、作者不詳の世界なのです。

  しかし童謡は、レコードとか、作詞者の印税、歌手の印税など、
  いろいろな商業的な問題がありますので、いきおい流行(はや)
  らせる手だてということも考えたのではないでしょうか。  (p96)


うん。この新書の第五章は、全部引用しておきたくなるのですが、
こらえて(笑)。あと一か所引用しておくことに。

    ・・・・安野先生は唱歌の本を前にも作られていましたが。

安野】 芥川也寸志(やすし)さんと編集した
   『 歌の絵本ーー日本の唱歌より』がそれです。

    芥川さんは懐かしいですね。あの人は思ったより進歩的で、
   『藤村(とうそん)の『朝』なんかいいじゃない』と言うと、
   『あれは国民歌謡の手あかがついているから』と言うので敬遠しました。

   また、『 あれ松虫がないている 』と歌う
   『 虫の声 』が好きだと言っていました。

  むかし長谷川一夫が大石良雄に扮したNHKのドラマ
  『赤穂浪士』のテーマ曲を彼が作曲しました。

  『 よーくきいてごらん、〈月の砂漠〉の変奏曲の部分があるから 』
   というので聞いてみると、なーるほど
  〈 月の砂漠 〉のメロディが感じられるところがありました。

藤原】 先生のあの本はまた絵がいいです。

安野】 ありがとうございます。やはり唱歌は、
    題材としてはいいけれど、絵を描くには意外と問題があるのです。

    絵と音楽は違うものなので、歌詞の内容を絵解きしても始まらないし、
    もともとできない相談だと思った方がいいんです。・・・
                        ( p99~100 )


はい。というわけで、『 歌の絵本ーー日本の唱歌より 』を
古本でさっそく注文しちゃいました(笑)。


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