1940年の作品。映画の舞台はロンドンウォータールー橋と駅。第一次大戦前後の将校とバレリーナの悲哀な恋が描かれる。「風と共に去りぬ」を撮り終えたばかりのヴィヴィアンリーが非常に美しい。 古典的悲愛物語である。
バレリーナとしてロンドンで公演中のヴィヴィアンリーが、空襲を受けている最中、ウォータールー橋でロバートテイラー大尉と出会う。恋の吸引作用をお互いに受けたあと、ロバートテイラーはバレエ公演を見に行き、デートに誘う。バレエ団員は非常に厳しい管理を受けていて、ヴィヴィアンは先生に外出禁止を言い渡される。しかし、ヴィヴィアンは抜け出して2人で密会する。楽しい夜をすごす。将校は翌朝出征の予定だったが、2日間出征延期になったため、翌日再度会う。そして、求婚を受ける。将校の上司の許可を受けて、式を挙げようと教会に行くが、3時過ぎで法律では挙式は無理と、翌日に延期といわれる。それでも気分高揚させながらバレエの会場に戻ったとき、突如彼の出征が早まったとの連絡が入る。周りの制止を振り切り公演出演せずに彼の見送りにウォータールー駅に行くが彼を乗せた汽車は出発する。。。。。
このあとストーリーは二転三転する。溝口健二監督が戦後につくった現代劇のような女の悲しさを表わしながら、ロバートの出征直後、職がなく堕ちていくヴィヴィアンリーの姿を描いている。彼女の美しさはいうまでもないが、演技的にも貫禄を感じさせる。世紀の名作「風と共に去りぬ」の影響でアメリカ人と思われがちであるが、実はイギリス育ちである。この作品では前作の強い女性像とまったく対照的な女の弱さを漂わせている。
ロバートテイラーを名門の出身の設定にしているのも、イギリス舞台の映画によくあるパターン。社交ダンスの場面が多い。階級社会のイギリスらしく、イギリス軍の上層部がいかにも上流階級に見えてくる。「アラビアのロレンス」「炎のランナー」「インドへの道」など第一次大戦前後のイギリス人を描いた映画にはいずれも階級社会の強い色彩がある。この作品も同様である。
このころの英語は聴いていて非常にわかりやすい。自分が中学高校と学校教育を受けたときの英語に通じる気がする。別に最近の映画の英語が難しくなっているわけではない。このころの脚本が非常に文法的にきれいな英語になっているということなのだと思う。
バレリーナとしてロンドンで公演中のヴィヴィアンリーが、空襲を受けている最中、ウォータールー橋でロバートテイラー大尉と出会う。恋の吸引作用をお互いに受けたあと、ロバートテイラーはバレエ公演を見に行き、デートに誘う。バレエ団員は非常に厳しい管理を受けていて、ヴィヴィアンは先生に外出禁止を言い渡される。しかし、ヴィヴィアンは抜け出して2人で密会する。楽しい夜をすごす。将校は翌朝出征の予定だったが、2日間出征延期になったため、翌日再度会う。そして、求婚を受ける。将校の上司の許可を受けて、式を挙げようと教会に行くが、3時過ぎで法律では挙式は無理と、翌日に延期といわれる。それでも気分高揚させながらバレエの会場に戻ったとき、突如彼の出征が早まったとの連絡が入る。周りの制止を振り切り公演出演せずに彼の見送りにウォータールー駅に行くが彼を乗せた汽車は出発する。。。。。
このあとストーリーは二転三転する。溝口健二監督が戦後につくった現代劇のような女の悲しさを表わしながら、ロバートの出征直後、職がなく堕ちていくヴィヴィアンリーの姿を描いている。彼女の美しさはいうまでもないが、演技的にも貫禄を感じさせる。世紀の名作「風と共に去りぬ」の影響でアメリカ人と思われがちであるが、実はイギリス育ちである。この作品では前作の強い女性像とまったく対照的な女の弱さを漂わせている。
ロバートテイラーを名門の出身の設定にしているのも、イギリス舞台の映画によくあるパターン。社交ダンスの場面が多い。階級社会のイギリスらしく、イギリス軍の上層部がいかにも上流階級に見えてくる。「アラビアのロレンス」「炎のランナー」「インドへの道」など第一次大戦前後のイギリス人を描いた映画にはいずれも階級社会の強い色彩がある。この作品も同様である。
このころの英語は聴いていて非常にわかりやすい。自分が中学高校と学校教育を受けたときの英語に通じる気がする。別に最近の映画の英語が難しくなっているわけではない。このころの脚本が非常に文法的にきれいな英語になっているということなのだと思う。