映画「アフターヤン」を映画館で観てきました。
映画「アフターヤン」は近未来の時代設定で、AIロボットのベビーシッターをめぐる家族の物語。中米の美しい街コロンバスを舞台にした映画「コロンバス」のコゴナダが監督でコリンファレルがロボットヤンのご主人様である。手塚治虫の「火の鳥」に出てくるロボットのような人間とほぼ変わらない家庭用ロボットに焦点をあてる。でもむずかしい映画ではない。
茶葉の販売店を営むジェイク(コリン・ファレル)、妻のカイラ(ジョディ・ターナー=スミス)、中国系の幼い養女ミカは、慎ましくも幸せな日々を送っていた。しかしロボットのヤン(ジャスティン・H・ミン)が突然の故障で動かなくなり、ヤンを本当の兄のように慕っていたミカはふさぎ込んでしまう。
修理の手段を模索するジェイクは、ヤンの体内に一日ごとに数秒間の動画を撮影できる特殊なパーツが組み込まれていることを発見。そのメモリバンクに保存された映像には、ジェイクの家族に向けられたヤンの温かなまなざし、そしてヤンがめぐり合った素性不明の若い女性の姿が記録されていた。(作品情報 引用)
しっとりとした肌合いをもつ映画だ。
AI、近未来という設定に一瞬尻込みしそうになる。でも、そういった要素はほとんどない。時代の進歩を感じさせるのはロボット以外になく、家のインテリアから感じられる生活感は現代そのものに近い。
家族同様に暮らしていたロボットが故障すること自体が一種の喪失で、突然誰かが蒸発するパターンが多い村上春樹の小説のような展開だ。激しくこちらの末梢神経を刺激する場面はない。白人の夫、アフリカ系の妻、中国人の養女という構成は最近の多様性を強調する映画のしばりが強いものと感じる。
⒈小津安二郎のファンのコゴナダ監督
コゴナダ監督の前作では、たぶん一生行くことはないだろう美しいコロンバスの街のモダン建築を中心とした美しい映像で目の保養になった。コゴナダ監督は小津安二郎監督を敬愛しているという。小津の影響が強いのは、この映画の映像を見れば一目瞭然である。
白人の夫とアフリカ系の妻の会話を、小津作品得意の「切り返しショット」で映し出す。その手法が映画で何度も繰り返される。しかも、ほぼ真正面でそれぞれの人物を映すショットも一緒だ。
あとは、誰もいない部屋の内部空間を映すショットも小津安二郎監督作品ではよく見られる。自分の好きなカラー作品「浮草」は大映作品で名カメラマン宮川一夫が、小津流で撮る。その時のいくつかのショットにアナロジーを感じる。決してパクりではない。これはこれで悪くない。
⒉秀逸な音楽とインテリア
小津安二郎流で映し出す主人公の家のショットが映えるのも内部のインテリアのセンスの良さが際立っているからだ。前作でもコロンバスのモダン建築に焦点を当てたコゴナダ監督は建築に造詣があるのではないか?コゴナダはコリア系だが、ここで映し出されるインテリアはアジアンというよりジャパニーズテイストと言っていい。和風の障子を多用したり、内部造作の木の使い方に日本のテイストを入れているので、親しみが持てる。外部の緑を強調した樹木の見せ方もうまい。
そんな美しい映像のバックで流れる音楽のセンスが抜群にいい。坂本龍一のテーマ曲は別として、音楽担当Aska Matsumiya の優しいピアノ基調の音楽に快適な気分を感じる。映像の基調は解像度が高いものではなく、薄暗いテイストだ。紆余曲折あるストーリーの強弱で魅せる映画ではない。やわらかいストーリーとともにしっとり快適な時間を過ごせる。
映画「アフターヤン」は近未来の時代設定で、AIロボットのベビーシッターをめぐる家族の物語。中米の美しい街コロンバスを舞台にした映画「コロンバス」のコゴナダが監督でコリンファレルがロボットヤンのご主人様である。手塚治虫の「火の鳥」に出てくるロボットのような人間とほぼ変わらない家庭用ロボットに焦点をあてる。でもむずかしい映画ではない。
茶葉の販売店を営むジェイク(コリン・ファレル)、妻のカイラ(ジョディ・ターナー=スミス)、中国系の幼い養女ミカは、慎ましくも幸せな日々を送っていた。しかしロボットのヤン(ジャスティン・H・ミン)が突然の故障で動かなくなり、ヤンを本当の兄のように慕っていたミカはふさぎ込んでしまう。
修理の手段を模索するジェイクは、ヤンの体内に一日ごとに数秒間の動画を撮影できる特殊なパーツが組み込まれていることを発見。そのメモリバンクに保存された映像には、ジェイクの家族に向けられたヤンの温かなまなざし、そしてヤンがめぐり合った素性不明の若い女性の姿が記録されていた。(作品情報 引用)
しっとりとした肌合いをもつ映画だ。
AI、近未来という設定に一瞬尻込みしそうになる。でも、そういった要素はほとんどない。時代の進歩を感じさせるのはロボット以外になく、家のインテリアから感じられる生活感は現代そのものに近い。
家族同様に暮らしていたロボットが故障すること自体が一種の喪失で、突然誰かが蒸発するパターンが多い村上春樹の小説のような展開だ。激しくこちらの末梢神経を刺激する場面はない。白人の夫、アフリカ系の妻、中国人の養女という構成は最近の多様性を強調する映画のしばりが強いものと感じる。
⒈小津安二郎のファンのコゴナダ監督
コゴナダ監督の前作では、たぶん一生行くことはないだろう美しいコロンバスの街のモダン建築を中心とした美しい映像で目の保養になった。コゴナダ監督は小津安二郎監督を敬愛しているという。小津の影響が強いのは、この映画の映像を見れば一目瞭然である。
白人の夫とアフリカ系の妻の会話を、小津作品得意の「切り返しショット」で映し出す。その手法が映画で何度も繰り返される。しかも、ほぼ真正面でそれぞれの人物を映すショットも一緒だ。
あとは、誰もいない部屋の内部空間を映すショットも小津安二郎監督作品ではよく見られる。自分の好きなカラー作品「浮草」は大映作品で名カメラマン宮川一夫が、小津流で撮る。その時のいくつかのショットにアナロジーを感じる。決してパクりではない。これはこれで悪くない。
⒉秀逸な音楽とインテリア
小津安二郎流で映し出す主人公の家のショットが映えるのも内部のインテリアのセンスの良さが際立っているからだ。前作でもコロンバスのモダン建築に焦点を当てたコゴナダ監督は建築に造詣があるのではないか?コゴナダはコリア系だが、ここで映し出されるインテリアはアジアンというよりジャパニーズテイストと言っていい。和風の障子を多用したり、内部造作の木の使い方に日本のテイストを入れているので、親しみが持てる。外部の緑を強調した樹木の見せ方もうまい。
そんな美しい映像のバックで流れる音楽のセンスが抜群にいい。坂本龍一のテーマ曲は別として、音楽担当Aska Matsumiya の優しいピアノ基調の音楽に快適な気分を感じる。映像の基調は解像度が高いものではなく、薄暗いテイストだ。紆余曲折あるストーリーの強弱で魅せる映画ではない。やわらかいストーリーとともにしっとり快適な時間を過ごせる。