映画「みなさん、さようなら」は2013年年1月に公開された作品だ。「アヒルと鴨のコインロッカー」の中村義洋監督と濱田岳が5度目のタッグを組み、久保寺健彦の同名小説を映画化した。
公開された後、割と評判がいい。気になっていたが、上映されている場所が少ない。チャンスを逃していた。いよいよレンタル発見。すぐ借りた。
これは面白い!
濱田岳は生まれ育った団地から出ずに生きる男を演じる。なんと濱田は主人公・渡会悟の中学一年から30歳までを演じきるのだ。彼が出る映画にハズレはほとんどない。これまで以上に彼の個性が浮かび上がる。そして、強く青春というものを感じさせる。
映画を見終わってすがすがしい気分になった。
「僕は一生、団地の中だけで生きていく」12歳の春、渡会悟(濱田岳)の一大決心は母の日奈(大塚寧々)を始め、周囲を仰天させる。賑やかな団地には、肉屋から魚屋、理髪店、衣料品店など何でも揃っている。何だって団地の中だけで済ますことができる。
教師に説得されたが、結局中学校には通わなかった。「俺が団地を守るんだ!」とばかりに、団地内のパトロールを日課に日々を過ごす。中学は行かなかったが卒業証書はもらえた。そして希望がかない団地の中のケーキ屋に弟子入りする。
最初は団地の隣に住む松島(波瑠)と仲良くしていたが、年頃になった彼女は目の前から去っていく。昔の同級生同士が団地の公民館で成人になった集いをする。そこには同級生の緒方早紀(倉科カナ)がいた。彼女は悟のマドンナだった。手の届かない女の子と思っていた彼女と意気投合する。そして婚約してしまうのだ。
団地の中だけの生活を謳歌してゆく悟だったが、時代の変遷とともに多くの人が団地を去り、悟は1人取り残されていくのだが。。。。。
なんせ団地から出られない主人公だ。それは小学生時代、身近で起きた中学生による殺傷事件の影響だ。いったん団地の外へ出ようとする。一種の過呼吸状態になるのである。成人になって、恋人とトライしてもダメだった。そんな主人公のいくつもの逸話が語られる。見ようによっては異常の世界なのに妙に感情流入した。それぞれの逸話にリアル感が感じられた。
どれもこれも語りだすときりがない。
この映画を見て印象深かったこと4つあげる。
1つ目は大山倍達との出会いだ。
団地を守ると誓った主人公がテレビで牛殺しをするフィルムに出会った。それを見て感激した主人公は、「強くなりたい」の一心で大山倍達の著書をもとに、自分で修業を始めるのだ。まずは身体を鍛えるための腕立て伏せ、それも手のひらを使ったものでなく、少しづつ指の本数を少なくしてやるのだ。そしてダンボールで人形をつくって、それ向けて目潰しや金蹴りによる奇襲の訓練だ。中学時代不良同士のケンカに何かの間違いで駆り出されて、金蹴りをするシーンは笑える。しかも、この映画の最後には凄い実戦シーンが待っているのだ。
極真空手の総帥大山倍達と言えば、漫画「空手バカ一代」である。この映画の主人公悟が生まれた昭和48~49年ころが、むしろ大衆人気のピークだったのではないだろうか?ちょうどブルースリー主演映画「燃えよドラゴン」を全国の少年たちが羨望のまなざしで見ていた時期と一致する。当時通っていた中学校では本気で「ブルースリーと大山倍達のどっちが強いのか?」なんて議論が真剣に交わされていたのだ。
大山倍達がアメリカでの修業時代に地下プロレスでとてつもなく強い相手に出くわして、苦戦したあげく「目潰し」で相手を倒した場面が急激に脳裏に思いだされた。
その後情報時代となり、大山倍達の裏の一面もいろんな本で見られるようになった。それでも我々にとっては「極真会館」の文字は強さの象徴である。虚像の面があるといっても大山は我々の永遠のヒーローであることには変わりはない。この映画では良い形で取り上げてくれたと思う。
2つ目が2人の女子同級生との性的関わりだ。
脱ぐわけではないのにこれがかなり刺激的だ。
これ自体が初々しくてよい。
隣宅の女の子(波瑠)とは夜になると、ベランダ越しに語りあう。彼女は最初はメガネをして男付き合いにまったく関心がないように見えるが、高校になると色気も出てくる。主人公とキスをしてしまう。それだけでは飽き足らず、お互いの身体をまさぐるようになる。いわゆるペッティングだ。それも少しづつエスカレートするようになるのだ。でも最後の一線は譲らない。この映像は見ていて面白い。性的な衝撃が強い時期を経験した男たちはこれを見て割とドキドキしたんじゃないかしら?
マドンナだった彼女にはずっと憧れていて、「夜の妄想」対象で無理目な女の子と思っていた。ところが、成人記念の飲み会で意気投合して心身ともに「くっついてしまう」のだ。このシーンもなかなか刺激的だ。一つ言えることは「念ずればかなう」ということだ。この主人公もまさに念じたことがかなっている。
3つ目は団地の変貌と混血外国人の存在
途中から色彩が変わってくる。少しゆとりが出てマイホームをもって出ていく人が増えて、団地に活気がなくなってくる。そうした中、住んでいる人も変わってくる。
主人公は一人の混血少女に出会う。グランドで見事なサッカーのボールさばきを見せているのだ。最初は変な奴と見られていた主人公も仲良くなる。彼女はブラジルと日本の混血だ。母親は出稼ぎに来ていて父親と結ばれた。妹は父母の子供だが、自分は違う。顔に傷跡があり、何かがおかしい。
主人公は変だと思い、彼女の家庭に近づく。そして彼女の家の「父親」に会うのだ。高校中退で少年院の経験者だ。周りの取り巻きもまともではない。そんな「父親」は自分の「娘」までも雑に扱う。
これもリアル感がある。
4つ目は母親大塚寧々の存在だ。
これがよかった。
主人公は「母子家庭」だ。看護婦の母が生計を立てている。中学に行かないという息子にも文句は言わない。じっと背後から見守る。大山倍達に心酔した息子を見て、彼の著書を山積みになるくらい買ってあげたり、ケーキ屋に修業に入った息子がいったん首になった際も「なんとか雇ってください」とばかりに頭を下げてもう一度勤めるようになるシーンも胸が熱くなる。
大塚寧々は久々に見た。今から10年ちょっと前はよく見ていたのに、最近どうしていたんだろうとプロフィルを確認するともう45歳になっていた。離婚や再婚も経験して男の子の母親らしい。そういう部分が彼女の芸の奥行きを広げたんだろうと思う。
自分の会社でも、ショールームにバイトで中年女性を雇うことがある。そういうときに履歴書で気をつけるのは、男の子供がいるかどうかだ。女の子しかいない母親よりも男の子のいる母親の方が優しい。できの悪い営業がついつい愚痴を言ったりするのもそういうバイト女性だ。普通の女性はついつい何でもマザコンといってしまう傾向があるが、いかがなものか?自分で「マザコン」と若い男をバカにしている女は自分が母親になれば逆に「マザコン」の母になるものである。いつも笑うしかない。
この母親にトラブルが訪れる。そしてストーリーは終末を迎える。
晴れやかな気分になった。
久々に人に勧められる日本映画を見た感じがする。
(参考作品)
公開された後、割と評判がいい。気になっていたが、上映されている場所が少ない。チャンスを逃していた。いよいよレンタル発見。すぐ借りた。
これは面白い!
濱田岳は生まれ育った団地から出ずに生きる男を演じる。なんと濱田は主人公・渡会悟の中学一年から30歳までを演じきるのだ。彼が出る映画にハズレはほとんどない。これまで以上に彼の個性が浮かび上がる。そして、強く青春というものを感じさせる。
映画を見終わってすがすがしい気分になった。
「僕は一生、団地の中だけで生きていく」12歳の春、渡会悟(濱田岳)の一大決心は母の日奈(大塚寧々)を始め、周囲を仰天させる。賑やかな団地には、肉屋から魚屋、理髪店、衣料品店など何でも揃っている。何だって団地の中だけで済ますことができる。
教師に説得されたが、結局中学校には通わなかった。「俺が団地を守るんだ!」とばかりに、団地内のパトロールを日課に日々を過ごす。中学は行かなかったが卒業証書はもらえた。そして希望がかない団地の中のケーキ屋に弟子入りする。
最初は団地の隣に住む松島(波瑠)と仲良くしていたが、年頃になった彼女は目の前から去っていく。昔の同級生同士が団地の公民館で成人になった集いをする。そこには同級生の緒方早紀(倉科カナ)がいた。彼女は悟のマドンナだった。手の届かない女の子と思っていた彼女と意気投合する。そして婚約してしまうのだ。
団地の中だけの生活を謳歌してゆく悟だったが、時代の変遷とともに多くの人が団地を去り、悟は1人取り残されていくのだが。。。。。
なんせ団地から出られない主人公だ。それは小学生時代、身近で起きた中学生による殺傷事件の影響だ。いったん団地の外へ出ようとする。一種の過呼吸状態になるのである。成人になって、恋人とトライしてもダメだった。そんな主人公のいくつもの逸話が語られる。見ようによっては異常の世界なのに妙に感情流入した。それぞれの逸話にリアル感が感じられた。
どれもこれも語りだすときりがない。
この映画を見て印象深かったこと4つあげる。
1つ目は大山倍達との出会いだ。
団地を守ると誓った主人公がテレビで牛殺しをするフィルムに出会った。それを見て感激した主人公は、「強くなりたい」の一心で大山倍達の著書をもとに、自分で修業を始めるのだ。まずは身体を鍛えるための腕立て伏せ、それも手のひらを使ったものでなく、少しづつ指の本数を少なくしてやるのだ。そしてダンボールで人形をつくって、それ向けて目潰しや金蹴りによる奇襲の訓練だ。中学時代不良同士のケンカに何かの間違いで駆り出されて、金蹴りをするシーンは笑える。しかも、この映画の最後には凄い実戦シーンが待っているのだ。
極真空手の総帥大山倍達と言えば、漫画「空手バカ一代」である。この映画の主人公悟が生まれた昭和48~49年ころが、むしろ大衆人気のピークだったのではないだろうか?ちょうどブルースリー主演映画「燃えよドラゴン」を全国の少年たちが羨望のまなざしで見ていた時期と一致する。当時通っていた中学校では本気で「ブルースリーと大山倍達のどっちが強いのか?」なんて議論が真剣に交わされていたのだ。
大山倍達がアメリカでの修業時代に地下プロレスでとてつもなく強い相手に出くわして、苦戦したあげく「目潰し」で相手を倒した場面が急激に脳裏に思いだされた。
その後情報時代となり、大山倍達の裏の一面もいろんな本で見られるようになった。それでも我々にとっては「極真会館」の文字は強さの象徴である。虚像の面があるといっても大山は我々の永遠のヒーローであることには変わりはない。この映画では良い形で取り上げてくれたと思う。
2つ目が2人の女子同級生との性的関わりだ。
脱ぐわけではないのにこれがかなり刺激的だ。
これ自体が初々しくてよい。
隣宅の女の子(波瑠)とは夜になると、ベランダ越しに語りあう。彼女は最初はメガネをして男付き合いにまったく関心がないように見えるが、高校になると色気も出てくる。主人公とキスをしてしまう。それだけでは飽き足らず、お互いの身体をまさぐるようになる。いわゆるペッティングだ。それも少しづつエスカレートするようになるのだ。でも最後の一線は譲らない。この映像は見ていて面白い。性的な衝撃が強い時期を経験した男たちはこれを見て割とドキドキしたんじゃないかしら?
マドンナだった彼女にはずっと憧れていて、「夜の妄想」対象で無理目な女の子と思っていた。ところが、成人記念の飲み会で意気投合して心身ともに「くっついてしまう」のだ。このシーンもなかなか刺激的だ。一つ言えることは「念ずればかなう」ということだ。この主人公もまさに念じたことがかなっている。
3つ目は団地の変貌と混血外国人の存在
途中から色彩が変わってくる。少しゆとりが出てマイホームをもって出ていく人が増えて、団地に活気がなくなってくる。そうした中、住んでいる人も変わってくる。
主人公は一人の混血少女に出会う。グランドで見事なサッカーのボールさばきを見せているのだ。最初は変な奴と見られていた主人公も仲良くなる。彼女はブラジルと日本の混血だ。母親は出稼ぎに来ていて父親と結ばれた。妹は父母の子供だが、自分は違う。顔に傷跡があり、何かがおかしい。
主人公は変だと思い、彼女の家庭に近づく。そして彼女の家の「父親」に会うのだ。高校中退で少年院の経験者だ。周りの取り巻きもまともではない。そんな「父親」は自分の「娘」までも雑に扱う。
これもリアル感がある。
4つ目は母親大塚寧々の存在だ。
これがよかった。
主人公は「母子家庭」だ。看護婦の母が生計を立てている。中学に行かないという息子にも文句は言わない。じっと背後から見守る。大山倍達に心酔した息子を見て、彼の著書を山積みになるくらい買ってあげたり、ケーキ屋に修業に入った息子がいったん首になった際も「なんとか雇ってください」とばかりに頭を下げてもう一度勤めるようになるシーンも胸が熱くなる。
大塚寧々は久々に見た。今から10年ちょっと前はよく見ていたのに、最近どうしていたんだろうとプロフィルを確認するともう45歳になっていた。離婚や再婚も経験して男の子の母親らしい。そういう部分が彼女の芸の奥行きを広げたんだろうと思う。
自分の会社でも、ショールームにバイトで中年女性を雇うことがある。そういうときに履歴書で気をつけるのは、男の子供がいるかどうかだ。女の子しかいない母親よりも男の子のいる母親の方が優しい。できの悪い営業がついつい愚痴を言ったりするのもそういうバイト女性だ。普通の女性はついつい何でもマザコンといってしまう傾向があるが、いかがなものか?自分で「マザコン」と若い男をバカにしている女は自分が母親になれば逆に「マザコン」の母になるものである。いつも笑うしかない。
この母親にトラブルが訪れる。そしてストーリーは終末を迎える。
晴れやかな気分になった。
久々に人に勧められる日本映画を見た感じがする。
(参考作品)
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団地の中だけで生きていく男 | |
大山倍達正伝 | |
空手バカ一代大山の人生 | |