映画とライフデザイン

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映画「偽れる盛装」 京マチ子&吉村公三郎

2022-10-09 17:56:00 | 映画(日本 昭和34年以前)
映画「偽れる盛装」を名画座で観てきました。

映画「偽れる盛装」は1951年(昭和26年)の京マチ子主演の大映映画で吉村公三郎監督新藤兼人脚本の作品だ。1951年のキネマ旬報ベストテンでは小津安二郎「麦秋」、成瀬巳喜男「めし」に引き続く3位となっている。4位の木下恵介「カルメン故郷に帰る」や5位の今井正「どっこい生きている」といった名作よりも上の順位だ。これまで観る機会がなく初見である。

京都を舞台にして京マチ子演じる芸妓の打算的な生き方を描いている。フィルム上映で状態はかなり粗いが、当時の京都祇園の花柳界の裏側も映し出す貴重な映像だ。

お茶屋島原屋の看板芸妓君蝶(京マチ子)は金ズル男を渡り歩く打算的な女だ。その一方でお茶屋の女将きく(滝花久子)はむかし世話になった染物屋が傾き息子(河津清三郎)が金の無心に来ると、家を抵当に入れて金を用意するお人好しで君蝶に呆れられる。妹の妙子(藤田泰子)は市役所勤めで同僚の孝次(小林桂樹)と結婚しようとしているが、孝次は同業の菊亭の養子で女将で養母の千代(村田知栄子)は格式が違うと結婚に大反対だ。これらの話を基調にして、祇園の花柳界を取り巻く浮き沈みを描く。

見応えのある映画だ。
確かに白黒の粗いフィルムの映像は現代の進化した映画技術と比較すると古さを感じる。題材となる花柳界の話も数々の映画で取り上げられている。しかし、戦後5年経った京都の町中を映し出し、祇園のお茶屋通りや現役の舞妓や芸妓が着物で着飾る姿を観ると風情を感じる。ともかく、撮影当時26歳だった京マチ子の存在感におそれいる。周囲との関西弁(京都弁?)の掛け合いもテンポ良く、思わず唸ってしまう。

⒈京マチ子の凄み
京マチ子の大映時代の作品はこのブログでもかなり取り上げている。ただ、OSKから映画界に移って長くはない昭和26年にここまでのレベルに達しているのがすごい。黒澤明監督「羅生門」は前年の作品である。ある意味イヤな女だ。金の亡者のような場面を何度も映す。「金の切れ目が縁の切れ目」とばかりに、未練たらたら縁を切りたくない男を平気な顔をして捨てる。お茶屋の家計が苦しくなると、身体を張って金のある男にまとわりつく。

女の情念、嫉妬といった部分を目の表情で見せる。相手を蔑んだ目をここまで非情に見せる女優は現代ではいない。古い映画を観る価値は、その女優の最高の演技をした場面を堪能できることにある。「偽れる盛装」では後年の京マチ子作品以上に凄みを感じる。


⒉吉村公三郎と新藤兼人
戦後間もなく「安城家の舞踏会」「わが生涯の輝ける日」をこのコンビでヒットさせた。その後失敗作もあり、2人は松竹を抜けて近代映画協会を設立してその後活動する。もともと松竹時代に「偽れる盛装」を別の題名で持ち込んでダメで、最終的にようやく大映に配給で決まったという。でも、そのおかげで結果的に京マチ子が起用できて正解だった。

吉村公三郎京都で子どもの頃育ったようで、よく熟知していると見受けられる。後年の「夜の河」でも山本富士子を起用して、京都を舞台にした。もともと銀座が舞台の「夜の蝶」でも人気クラブのママに京マチ子を配置し、一方で京都出身で銀座に進出したライバル山本富士子を起用する。いずれにせよ、夜の世界には熟知しているのであろう。


ただ、量産体制のせいか新藤兼人の脚本には突っ込みどころも多い。明治女の義理堅さを言いたかったにせよ、お茶屋の女将がこんなに簡単に家を抵当に入れるのを承諾するかな?しかも、担保に入れてすぐさま、返済期限が迫ってくるというのもちょっと変かな?という気もする。新藤の他の作品でもビジネス系のセリフに違和感を感じることがある。ラストに向けて、京マチ子が男に追われる場面も、普通であれば周囲に男が取り押さえられても良さそうだ。そんな欠点をすべて京マチ子の迫力でカバーする。

⒊名優のルーツ
登場人物に名優が揃う。金廻りが悪くなって縁を切られる商店主が殿山泰司で、近代映画協会の仲間だ。後年よりさすがに髪の量が多い。妹役の藤田泰子の恋人役が小林桂樹だ。もう10年くらい経ってからの東宝時代とイメージが違い若い。映画を観ながら驚く。まだまだ未熟者という感じで、京マチ子から往復ピンタをくらう。大映で小林桂樹を観たのは記憶にない。

妹役の藤田泰子はなかなかの美人女優で現代的な顔をしている。この後引退するが、履歴を見るとキョウドー東京の社長夫人に収まったとのことだ。


お偉いさん役が多かった河津清三郎は落ちぶれていく商家の息子役で、いつもよりみじめったらしい感じだ。京マチ子のスポンサーには進藤英太郎菅井一郎などが登場する。昭和40年代まで両者ともTVドラマの常連だった。進藤英太郎といえば「おやじ太鼓」の頑固おやじが脳裏に残る。溝口健二監督と相性が良かった。ここでは京マチ子の前で鼻の下を伸ばすスポンサーだ。

今月末久々に神楽坂で御座敷だ。この映画を観て待ち遠しくなった。

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