映画「ばかもの」は成宮寛貴主演の青春偶像劇である。
三流大学の普通の学生が女性遍歴を重ねながら成長していく10年を描く青春恋愛ドラマだ。アルコール中毒も途中一つのポイントになるが、この程度のアル中であればいくらでもいるといった感じだ。こんな青春を送っていれば普通であれば後になっていい人生歩んできたなあって思えるような話である。
群馬県高崎が舞台である。三流大学の大学生である主人公(成宮寛貴)は勉強も恋愛も中途半端な男だ。父母(浅田美代子)と姉と生家で暮らしている。大学では親しく席を並べている女子学生(中村ゆり)がいるが彼女ではない。
そんな主人公が父親の忘れものをとりに、飲み屋に行く。そこには美人おかみ(古手川祐子)が待っていた。忘れ物をもらった後、店で若い女性額子(内田有紀)に声をかけられた。一緒に飲まないかといわれる。彼女は美人おかみの娘であった。屈託のない額子に言われるまま酒が進んでいた。気がつくと額子の部屋へ。その後も急接近して2人は付き合うようになる。若い主人公は精力が有り余っていて、会うたびごと額子を求める。額子もそれを受け入れる。一緒の身体になったかのようにお互いくっついている日が続いていた。
ところが、それが少しづつ疎遠になる。どうしたことか?と主人公は思っていた。
そんなある日額子から公園に主人公が誘われた。大きな木のところで、額子が縄で彼の体ごと縛った。そしてズボンを下ろし、口で彼のものを吸い始めた。そんなときに突然額子が言う。「私結婚するの」縄で縛ったまま彼女はそこを立ち去る。主人公は途方に暮れる。
しばらくは落胆した月日が流れた。
席を並べた女子学生もデイトレーダーで金をもうけて東京へ行ってしまう。なんとか大学を卒業して、地元の家電量販店で働くようになった。
大学時代の親友の結婚式で、妻側の招待客である理科の女教師(白石美帆)と知り合った。彼女と妙に気が合い、彼女の家に転がり込むようになる。このころから彼の酒は進むようになる。飲んで荒れてという日々が続く。しかし、彼女は清純でやさしい女性であった。アル中の彼を受けとめようとするが、エスカレートぶりは常識の範囲を超えていったが。。。。
観音様にだるまといえば、高崎が舞台だと一発でわかる。地元商店に協力してもらっているのか、街の様子もずいぶんと映している。群馬から日光に向かう所にある吹割の滝が映ったのは懐かしい。栃木に住んでいたころ滝めぐりが好きで、日光のヤマを越えて見に行ったことがある。主人公の勤務先が家電量販店の設定、ヤマダ電機にロケさせてもらっているようだ。群馬といえば今や全国区となったヤマダ電機の本拠地だ。そんな典型的地方都市のたたずまいを映しながら、物語は流れていく。
まわりに浴びるほど酒を飲む奴はたくさんいるけど、アルコール中毒の治療を受けた経験のある奴っていない。実際問題この程度であればという気もするが、女性から見た男性の酒好きの感覚が違うのかもしれない。
たまたま年上の魅力ある女性と付き合ってしまって、まるで猿のように狂って愛欲に走るという気分は悪くない。村上春樹の小説なんかによく出てくる話だが、これってそんなに引きずるのかなあ?彼の小説だと若い時のいい思い出ということで全く引きずらない。こんなことで酒びたりになるという構図はおかしい。どうしても原作者の女性目線に偏見があるのではないかと感じる。男性心理をよくわかっていないのでは?
むしろこちらから見ると、この主人公モテまくりでいい思いしたじゃねえか!と言いたいくらいだ。
しかも内田有紀がもう一度現れる構図も変だ。
主演の成宮寛貴君は男から見ても好男子だと思う。黙っていてもこのキャラならもてるだろう。演技がどうのこうのというより、素地でこの映画取り組んでいる感じがして好感が持てる。
脇役がバラエティに富む。
内田有紀の誘惑キャラがかっこいい。ただもう一度出てきたあとはなんか変だ。(もっとも彼女には何の罪はないけど)
中村ゆり が可愛い。パッチギの続編で準主役張ったが、あれは映画の内容にむちゃくちゃむかついたので、個人的冷静さを失った。今回同一人物に見えなかった。新興宗教に狂うという設定がぴったりだ。美女が多い映画だが、いちばんいい女だ。
浅田美代子はデビュー当時からよく知っている。自分よりまあまあ年上だが、今でも若いしかわいい。麻丘めぐみや天地真理の醜さをみれば格が違う。デビュー曲「赤い風船」はまわりの悪ガキどもとよく一緒にギター弾いて歌ったものだ。典型的女学館ガールで、中小企業の社長の娘という雰囲気がいつまでも消えない。
古手川祐子も飲み屋のママ役が板につく。もう主役張るなんてことはなさそうだ。こんな美人なかなか町の一杯飲み屋にはいないけどなあ。
普通かな
三流大学の普通の学生が女性遍歴を重ねながら成長していく10年を描く青春恋愛ドラマだ。アルコール中毒も途中一つのポイントになるが、この程度のアル中であればいくらでもいるといった感じだ。こんな青春を送っていれば普通であれば後になっていい人生歩んできたなあって思えるような話である。
群馬県高崎が舞台である。三流大学の大学生である主人公(成宮寛貴)は勉強も恋愛も中途半端な男だ。父母(浅田美代子)と姉と生家で暮らしている。大学では親しく席を並べている女子学生(中村ゆり)がいるが彼女ではない。
そんな主人公が父親の忘れものをとりに、飲み屋に行く。そこには美人おかみ(古手川祐子)が待っていた。忘れ物をもらった後、店で若い女性額子(内田有紀)に声をかけられた。一緒に飲まないかといわれる。彼女は美人おかみの娘であった。屈託のない額子に言われるまま酒が進んでいた。気がつくと額子の部屋へ。その後も急接近して2人は付き合うようになる。若い主人公は精力が有り余っていて、会うたびごと額子を求める。額子もそれを受け入れる。一緒の身体になったかのようにお互いくっついている日が続いていた。
ところが、それが少しづつ疎遠になる。どうしたことか?と主人公は思っていた。
そんなある日額子から公園に主人公が誘われた。大きな木のところで、額子が縄で彼の体ごと縛った。そしてズボンを下ろし、口で彼のものを吸い始めた。そんなときに突然額子が言う。「私結婚するの」縄で縛ったまま彼女はそこを立ち去る。主人公は途方に暮れる。
しばらくは落胆した月日が流れた。
席を並べた女子学生もデイトレーダーで金をもうけて東京へ行ってしまう。なんとか大学を卒業して、地元の家電量販店で働くようになった。
大学時代の親友の結婚式で、妻側の招待客である理科の女教師(白石美帆)と知り合った。彼女と妙に気が合い、彼女の家に転がり込むようになる。このころから彼の酒は進むようになる。飲んで荒れてという日々が続く。しかし、彼女は清純でやさしい女性であった。アル中の彼を受けとめようとするが、エスカレートぶりは常識の範囲を超えていったが。。。。
観音様にだるまといえば、高崎が舞台だと一発でわかる。地元商店に協力してもらっているのか、街の様子もずいぶんと映している。群馬から日光に向かう所にある吹割の滝が映ったのは懐かしい。栃木に住んでいたころ滝めぐりが好きで、日光のヤマを越えて見に行ったことがある。主人公の勤務先が家電量販店の設定、ヤマダ電機にロケさせてもらっているようだ。群馬といえば今や全国区となったヤマダ電機の本拠地だ。そんな典型的地方都市のたたずまいを映しながら、物語は流れていく。
まわりに浴びるほど酒を飲む奴はたくさんいるけど、アルコール中毒の治療を受けた経験のある奴っていない。実際問題この程度であればという気もするが、女性から見た男性の酒好きの感覚が違うのかもしれない。
たまたま年上の魅力ある女性と付き合ってしまって、まるで猿のように狂って愛欲に走るという気分は悪くない。村上春樹の小説なんかによく出てくる話だが、これってそんなに引きずるのかなあ?彼の小説だと若い時のいい思い出ということで全く引きずらない。こんなことで酒びたりになるという構図はおかしい。どうしても原作者の女性目線に偏見があるのではないかと感じる。男性心理をよくわかっていないのでは?
むしろこちらから見ると、この主人公モテまくりでいい思いしたじゃねえか!と言いたいくらいだ。
しかも内田有紀がもう一度現れる構図も変だ。
主演の成宮寛貴君は男から見ても好男子だと思う。黙っていてもこのキャラならもてるだろう。演技がどうのこうのというより、素地でこの映画取り組んでいる感じがして好感が持てる。
脇役がバラエティに富む。
内田有紀の誘惑キャラがかっこいい。ただもう一度出てきたあとはなんか変だ。(もっとも彼女には何の罪はないけど)
中村ゆり が可愛い。パッチギの続編で準主役張ったが、あれは映画の内容にむちゃくちゃむかついたので、個人的冷静さを失った。今回同一人物に見えなかった。新興宗教に狂うという設定がぴったりだ。美女が多い映画だが、いちばんいい女だ。
浅田美代子はデビュー当時からよく知っている。自分よりまあまあ年上だが、今でも若いしかわいい。麻丘めぐみや天地真理の醜さをみれば格が違う。デビュー曲「赤い風船」はまわりの悪ガキどもとよく一緒にギター弾いて歌ったものだ。典型的女学館ガールで、中小企業の社長の娘という雰囲気がいつまでも消えない。
古手川祐子も飲み屋のママ役が板につく。もう主役張るなんてことはなさそうだ。こんな美人なかなか町の一杯飲み屋にはいないけどなあ。
普通かな
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