後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

過ぎ去りし日々よ、そして水芭蕉の群落に遭遇した思い出

2016年05月03日 | 日記・エッセイ・コラム
老境になると月日が以前より早く流れ去るようになります。しかしその中でも忘れられない出来事が次々と起こり退屈することがありません。
今日は神秘的な水芭蕉の花の群落に突然遭遇した時の思い出を書いてみたいと思います。それは心に焼き付いている神秘的な光景でした。
水芭蕉の花は若い頃から一度見てみたいと長い間憧れていた花でした。尾瀬の「夏の思い出」という歌が一世を風靡したころから水芭蕉という花に魅かれるようになりました。作詞、江間章子、作曲、中田喜直のこの歌の中で尾瀬に咲く水芭蕉の花の美しさが出て来たのです。しかし東京に住んでいる私にとっては尾瀬はあまりにも遠い場所でした。
白い花びらのように見える苞(仏炎苞)がロウソクの炎のように太い蕊の後ろに後光のように立っている大きな花です。写真を何度も見て何時かは見てみたいと憧れていた花でした。
「夏が来ると思い出す、 はるかな尾瀬 遠い空、・・・」 という尾瀬の夏の日を懐かしむ歌で知ったので、私は水芭蕉は尾瀬にしか咲いていないと思い込んでいたのです。
晩年度々北海道を旅するようになりました。北海道を車で走っていた時、道に迷い、一面に白い水芭蕉が咲いている場所に突然遭遇したのです。それは2003年の5月の頃でした。あれからもう13年になりますが、その水芭蕉の花が群落して咲いている光景が忘れられないのです。
1番目の写真は13年前の5月2日に偶然迷い込んだ水芭蕉の群生地の写真です。

場所は網走湖の南端の湿地帯でした。
国道から呼人半島の付け根の方向へ少し入った雑木林の下に広がる湿地帯です。観光地でないので案内の看板も無く、近所の人だけが散歩するような細い悪路が林に中に続いていました。
私共はアイヌ民族の神様のフクロウに誘われるように暗い林の中を陶酔したように歩き回りました。あの頃は妻もまだ66歳で若かったので、白い花の群落に立っている姿も良いと思ったものです。
それはさておき、この幻想的な水芭蕉の群生地が忘れられず、その後何度か北海道へ行くたびにあちこちで湿地帯を見つけると車を停めて歩き回りました。しかし網走湖以外では見ることが出来ません。
ところが2012年の9月にまた網走湖のそばを通るチャンスが巡って来ました。
2003年に辿った道を思い出しながら探して行きました。そして9月20日にこの曾遊の地を再び訪れたのです。
しかし9月は水芭蕉の花の季節ではありません。雑木林の中は暗く、道も崩れていて、荒れ果てた感じです。そして以前に歩いた細い道の入り口には立ち入り禁止の綱が張ってあります。水芭蕉の花咲く季節以外は人を入れず水芭蕉を保護しているのです。
帰宅後、ネットで調べると毎年5月初旬には相変わらず2番目の写真のように咲いていることが分かりました。

この写真の出典は、http://abashiri.jp/tabinavi/02spot/abashiriko.html です。
3枚目の写真にもう一枚の水芭蕉の咲いている湿地帯の光景をしめします。

この写真の出典は、http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%82%BA%E3%83%90%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%82%A6 です。
以前に泊まった丘の上の「網走湖観光ホテル」悠遊亭を思い出し、行ってみました。2002年と2003年の北海道旅行の折に2回泊った大きなホテルです。
ホテルは倒産したようで閉鎖されていました。玄関先には雑草が茂っています。
車を停めた広い駐車場にも雑草が生えています。「栄枯盛衰、世の習い」といいますので仕方が無いのですが淋しい思いがします。
下を見降ろすと、当時と同じように広大な網走湖が広がっています。岸辺に降りて行って撮ったものが5枚目の写真です。

網走湖は観光客があまり行かない湖です。大きなシジミだけが名物の地味な湖です。その南端の湿地帯に水芭蕉が群生していて現在でも毎年4月中旬から5月にかけて見事な神秘的な花を見せてくれます。網走湖呼人半島の水芭蕉を検索すると開花状況が出ています。

北海道の自然は変わりません。その大自然が美しいだけに何か淋しい思いをしながら女満別飛行場から飛行機に乗り帰京しました。
老境の日々はどんどん流れ去ります。しかし忘れ得ない思い出も沢山出来るのです。それは人生のおいていろいろな意味で貴重な期間なのです。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)
====水芭蕉に関する参考資料================
水芭蕉の特徴: http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%82%BA%E3%83%90%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%82%A6 より以下の文章と水芭蕉の写真を引用いたしました。その写真を5番目の写真として示します。

湿地に自生し発芽直後の葉間中央から純白の仏炎苞(ぶつえんほう)と呼ばれる苞を開く。これが花に見えるが仏炎苞は葉の変形したものである。仏炎苞の中央にある円柱状の部分が小さな花が多数集まった花序(かじょ)である。開花時期は低地では4月から5月、高地では融雪後の5月から7月にかけて。葉は花の後に出る。根出状に出て立ち上がり、長さ80 cm、幅30 cmに達する。和名の「バショウ」は、芭蕉布の材料に利用されているイトバショウ(Musa liukiuensis (Matsumura) Makino)の葉に似ていることに由来する。

水芭蕉の分布:
シベリア東部、サハリン、千島列島、カムチャッカ半島と日本の北海道と中部地方以北の本州の日本海側に分布する。南限の兵庫県養父市の加保坂峠にも隔離分布している。山地帯から亜高山帯の湿原や林下の湿地に分布する。学名の種小名は「カムチャツカ半島」に由来する。基準標本は、カムチャッカ半島のもの。

日本の主な群生地:
日本の各地に多数の群落がある。「夏の思い出」(作詞:江間章子、作曲:中田喜直)で歌われているが、実際に尾瀬沼でミズバショウが咲くのは5月末ごろ、これは尾瀬の季節でいうと春先にあたる。北海道南部の大沼国定公園においても群落が多数あり場所により開花の時期が違う、駒ヶ岳の噴火によってできた湿地であったり水の溜まる地形が多い為にミズバショウには適した地といえる。田中澄江が『新・花の百名山』で、薬師岳と北ノ俣岳の間にある「太郎兵衛平」を代表する花の一つとして紹介した。
北海道網走湖畔(大空町・網走市)、雨竜沼湿原(雨竜町)、仁田沼 - 福島県福島市の吾妻連峰、尾瀬沼、奥裾花(長野市)、以下省略。


外国に住む日本人と 「人間至る処青山あり」

2016年05月03日 | 日記・エッセイ・コラム
高校時代の漢文の先生から「人間至る処青山あり」の一節を習って以来、長い人生の折々に必ず思い出す言葉です。
若い頃、オハイオ州に留学している時も、望郷の念に駆られるたびにこの一節を呪文のように唱えて異郷に住む苦しみをしのいでいました。貧乏のなかで勉強が厳しかったのです。晴れ上がった夕焼け空を白い旅客機が西の日本の方角へ飛んでいるのを見て望郷の想いで胸がかきむしられました。
その頃はこの「人間至る処青山あり」の意味を間違って、人間は何処に行っても美しい山の風景があるので幸せになれると理解していたのです。
何年かしてもう一度この一句を調べ直してみて自分の間違いに気がつきました。正しくは人間(じんかん)至る処青山ありと読み、その意味は、人はどこで死んでも青山(=墳墓の地)とする所はあるという意味だったのです。

この一節は幕末の長州の月性という僧侶が作った漢詩の最後の一節です。
言葉の響きが良い上に蒼く光る山々を連想されるので広く人々に使われる一節です。
その七言絶句の漢詩と訳は以下の通りです。          

「將東遊題壁」

男兒立志出郷關,
學若無成不復還。
埋骨何期墳墓地,
人間到處有山。

將(まさ)に 東遊せんとして 壁に 題す。

男児志を立て郷関を出ず
学若し成る無くんば復た還らず
骨を埋むる何ぞ墳墓の地を期せん
人間到る処青山あり

(「人間(じんかん)」は世の中を指し、「青山」は墳墓を表しています。)
その大意は、人はどこで死んでも青山(=墳墓の地)とする所はある。故郷を出て大いに活躍すべきであるとの意です。
幕末の長州で月性は尊皇攘夷の運動を活発にしていて吉田松陰とも交友があったそうです。
明治、大正、昭和と時代が進むと樺太南部や台湾や朝鮮が日本の領土になります。それに従って日本を出てこれらの新天地で働く日本人も増えていったのです。
「人間到る処青山あり」という一句は何となく時代の風潮に合致しているように感じる人が多かったのでしょう。そしてその時代には学問で身を立てることが奨励されていました。そんな背景もあって旧制中学校の漢文の時間にはこの漢詩を教えていたかも知れません。
私が戦後に入学した新制高校は旧制中学校のままの漢文の先生が教えていました。
勿論、この漢詩の重要な一節は、「学若し成る無くんば復た還らず」です。学問をきわめるために故郷を出るのです。
しかしそれを省略して最後の一節だけが良く言われます。
最近、私はしばらく忘れていたこの一句を何度も唱えるようになりました。
理由はネットの上で知り合った何人かは日本の故郷を遠く離れて何年も異国に住んでいることを知ったからです。
フランス人と結婚して幸せそうなMotokoさん、ブラジルに移民し身を立てたHiramineさん、スペインで日本武道の師匠をしているSeigoさん、イギリスに長く住んでいるMionFさんなどが私の記事を読んでコメントを下さいます。
故郷の日本のことを懐かしく思っていらしゃるようです。

この日本を懐かしく思って下さることは大変嬉しいことです。その一方、現在住んでいるところを愛しお墓も作ろうと決心しているようでもあります。私はそのような人を尊敬しています。
外国に住む日本人はそれぞれの理由があるのでしょう。しかし住んでいる土地を愛し、その国の土になるという決心は崇高なものと思います。理由は分かりませんが私には崇高な決心のように思えるのです。
勿論、その逆も真です。日本に帰化して日本の土になった人も知っています。時々そのような神父さんの墓参りに行きます。何故か感動します。理由は分かりません。
さて最初の「人間至る処青山あり」の一句の意味に返ります。これを誤解のついでに「人間至る処、どこににでも花々がある。どこにでも善い人間がいる」と拡大解釈してみましょう。そう信じるとどんな異国に住んでいても人間は幸せになれるのです。
そんな想いで、今日の挿絵の写真は昨日、都立薬草植物圓で撮ってきた季節の花々の写真をお送りいたします。

それはそれとして、今日は異国に住む皆様の幸多かれと祈ります。あわせて皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)

上はボタンです。

上は水辺に咲くカキツバタです。

上はヒトツバタゴ、俗称はナンジャモンジャです。

上はシランです。

上の写真に手前にツツジと奥にフジが写っています。