今日は日曜日なので宗教に関する気楽な感想を書きます。個人的な感想ですから正しいと主張出来ません。観念的な話なので読み流してくだされば幸せです。
キリスト教の聖書を読むとカナの婚姻というエピソードが書いてあります。婚姻の祝宴で葡萄酒が足りなくなったので、キリストが幾つもの水甕の水を上等なブドウ酒に変えた話です。このような奇蹟物語が聖書に幾つか書いてあります。このような話は合理的でありません。
しかし信者は信じています。半信半疑の信者もいるでしょう。カナの婚姻は楽しいエピソードですが、人智では理解できません。
そこで仏教や神道の場合も考えてみましょう。そうすると、どうも宗教には神秘的な話はつきもののようです。
例えば九州の天満宮には京都から飛んで行った梅の木があります。
そして菅原道真が九州に旅立つとき庭の梅に歌った和歌も伝えられています。
「東風(こち)吹かば 匂ひをこせよ 梅の花 主なしとて 春を忘るな」
梅の木が京都から九州に飛んで行くことは不合理です。神秘的です。でも大宰府の天満宮をお参りする人は信じているかも知れません。神道には幾つも神秘的な話があり、合理的には理解できません。
仏教にも幾つも不思議は話があります。
弘法大師が全国を旅をしました。そしであちこちで独鈷を突いて温泉を湧かせたという話も奇蹟物語です。
このような不思議な話を観念的に総括すると、「宗教には人智では理解出来ないことが含まれている」ということになります。
仏教は身近な宗教なのでもう少し詳しく見てみましょう。
我々が仏教で困ることの一つはお葬式の時、僧侶が読むお経の意味が判らないことです。お経は40分から1時間続きましから足がしびれます。意味の判らないことを緊張して聞いていることは苦痛です。
実はお経を読んでいる僧侶もあるお経の意味は判らないのですから、他の人が判る筈がありません。そのお経は人智では理解出来ないように出来ているのです。
僧侶はお経の意味を説明しません。自分で調べて理解するのが基本です。僧侶に意味を問うと、「それは有り難いお釈迦さまの教えを読んでいるのです」と簡単に教えてくれます。そして意味が判らないから有り難いのだよと心の中で呟いているのです。
正確に言えばお経には完全に意味の判るお経と、意味の判らないお経の2つの種類に分けられます。
日本で読まれていお経の大部分は唐の時代に玄奘三蔵法師がインドから持ち帰り、西安で漢文に翻訳したものです。
その時、意味の判る漢文にしたお経の他に、インドのサンスクリット語の原文の音を漢字で表現したお経があるのです。
意味の判る一番重要なお経は 般若心経です。お釈迦様の教えを判りやすく短く説明した漢文のお経です。実はこの般若心経の中にもギャーティー、ギャーティーやノウマクサンマンダ、ボタナンバンという部分などはマントラと言って意味不明のサンスクリット語です。
しかしこの部分を除けば 般若心経は意味が明快に判るお経の代表なのです。
それでは意味の判らないお経の代表はと言えば何というお経でしょう?
それはお葬式の時、必ずのようによく読まれる大悲心陀羅尼(だいひしんだらに)というお経です。
「なむからたんのー、とらやーやー」という出だしが聞こえたら、それが大悲心陀羅尼なのです。それはお葬式だけでなく、禅宗で広く日常的に読誦されている基本的なお経なのです。
その意味は?と問われれば判りませんとしか答えられません。
しかしそれを繰りかえし声を出して読んでいるとお釈迦様が身近に感じられるのです。そして自分がお釈迦様に帰依し、自分の身を捧げますという気分になっていくのです。ですから大悲心陀羅尼はお釈迦さまへの信仰告白だと解釈している宗派もあるようです。
このように宗教には人智では理解出来ないことが含まれています。そしてこの人智では理解出来ないことが非常に重要な柱になっているのです。
私は幼少のころ祖父や伯父が住職をしていたので般若心経と大悲心陀羅尼を何度も声を上げて何回も読みました。意味も判らずに読みました。
祖父や伯父は一度も意味を説明しようとはしませんでした。ただ幼いながらもそれが仏教というものだという感じがしました。
大人になって偶然が幾つか重なって私はカトリックになりました。そうしたらお経を読むという幼児体験があったおかげで、人智を越えた聖書の内容が判る感じがしたのです。その感じが信仰にとって重要だったのです。
これは私の個人的な感想ですから正しいと主張するつもりは毛頭ありませ。読み流してくだされば私も気楽です。
皆様にも気楽になって頂くために今日の挿し絵代わりの写真は昨日、神代植物公園で撮ってきたいろいろな花の写真です。4番目の黄色の花は雲南省原産の地湧金蓮です。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)
====参考資料=============
大悲心陀羅尼(だいひしんだらに)とは?
正式には『千手千眼観自在菩薩広大円満無礙大悲心陀羅尼』といい、伽梵達摩訳『千手千眼観自在菩薩広大円満無礙大悲心陀羅尼經』の陀羅尼部分を取り出したものとされる。略して大悲呪という。
南無喝囉怛那哆羅夜耶。南無阿唎耶。婆盧羯帝爍鉗囉耶。菩提薩埵婆耶。摩訶薩埵婆耶。摩訶迦盧尼迦耶。唵。薩皤囉罰曳。數怛那怛寫。南無悉吉利埵伊蒙阿唎耶。婆盧吉帝室佛囉楞馱婆。南無那囉謹墀。醯唎摩訶。醯唎摩訶皤哷沙。薩婆阿他豆輸朋。阿逝孕。薩婆薩哷那摩婆薩哷。那摩婆伽。摩罰特豆。怛姪他。唵。阿婆盧醯。盧迦帝。迦羅帝。夷醯唎。摩訶菩提薩埵。薩婆薩婆。摩囉摩囉。摩醯摩醯唎馱孕。俱盧俱盧羯蒙。度盧度盧罰闍耶帝。摩訶罰闍耶帝。陀囉陀囉。地利尼。室佛囉耶。遮囉遮囉。摩摩罰摩囉。穆帝隸。伊醯伊醯。室那室那。阿囉參佛囉舍利。罰沙罰參。佛囉舍耶。呼盧呼盧摩囉。呼盧呼盧醯利。婆囉娑囉。悉利悉利。蘇嚧蘇嚧。菩提夜菩提夜。菩馱夜菩馱夜。彌帝唎夜。那囉謹墀。地利瑟尼那。婆夜摩那。娑婆訶。悉陀夜。娑婆訶。摩訶悉陀夜。娑婆訶。悉陀喻藝。室皤囉夜。娑婆訶。那囉謹墀。娑婆訶。摩囉那囉。娑婆訶。悉囉僧阿穆佉耶。娑婆訶。娑婆摩訶阿悉陀夜。娑婆訶。者吉囉阿悉陀夜。娑婆訶。波陀摩羯悉陀夜。娑婆訶。那囉謹墀皤伽囉耶。娑婆訶。摩婆唎勝羯囉耶。娑婆訶。南無喝囉怛那哆羅夜耶。南無阿唎耶。婆盧吉帝。爍皤囉耶。娑婆訶。悉殿都。漫哆囉。跋陀耶。娑婆訶。
読み方
なむからたんのー。とらやーやー。なむおりやー。ぼりょぎちー。しふらやー。ふじさとぼやー。もこさとぼやー。もこきゃるにきゃやー。えんさーはらはえー。しゅたのーとんしゃ。なむしきりー。といもーおりやー。ぼりょきちーしふらー。といもーおりやー。ぼりょきちーしふらー。りとぼー。なむのらーきじきりー。もこほどー。しゃみさぼー。おとじょーしゅべん。おしゅいん。さばさとー。のもぼぎゃー。もはてちょー。とじとーえん。おぼりょぎー。りょぎゃちーからちー。いきりもこー。ふじさとー。さぼさぼー。もらもらー。もきもきー。りといんくりょくりょー。けもとりょーとりょー。ほじゃちやー。もこほじゃちやー。とらとらー。ちりにー。しふらやー。しゃろしゃろー。ももはもらー。ほちりー。いきいきー。しのしのー。おらさんふらしゃりー。はざはざー。ふらしゃやーくりょくりょー。もらくりょくりょー。きりしゃろしゃろー。しりしりー。すりょーすりょー。ふじやーふじやー。ふどやーふどやー。みちりやのらきんじー。ちりしゅにのー。ほやものそもこー。しどやーそもこー。もこしどやーそもこー。しどゆきーしふらやーそもこー。のらきんじーそもこー。もらのらそもこー。しらすんおもぎゃやーそもこー。そぼもこしどやーそもこー。しゃきらー。おしどやーそもこー。ほどもぎゃしどやーそもこー。のらきんじー。はぎゃらやーそもこー。もほりーしんぎゃらやーそもこー。なむからたんのうとらやーやー。なむおりやーぼりょぎちーしふらやーそもこー。してどー。もどらー。ほどやー。そーもーこー。




キリスト教の聖書を読むとカナの婚姻というエピソードが書いてあります。婚姻の祝宴で葡萄酒が足りなくなったので、キリストが幾つもの水甕の水を上等なブドウ酒に変えた話です。このような奇蹟物語が聖書に幾つか書いてあります。このような話は合理的でありません。
しかし信者は信じています。半信半疑の信者もいるでしょう。カナの婚姻は楽しいエピソードですが、人智では理解できません。
そこで仏教や神道の場合も考えてみましょう。そうすると、どうも宗教には神秘的な話はつきもののようです。
例えば九州の天満宮には京都から飛んで行った梅の木があります。
そして菅原道真が九州に旅立つとき庭の梅に歌った和歌も伝えられています。
「東風(こち)吹かば 匂ひをこせよ 梅の花 主なしとて 春を忘るな」
梅の木が京都から九州に飛んで行くことは不合理です。神秘的です。でも大宰府の天満宮をお参りする人は信じているかも知れません。神道には幾つも神秘的な話があり、合理的には理解できません。
仏教にも幾つも不思議は話があります。
弘法大師が全国を旅をしました。そしであちこちで独鈷を突いて温泉を湧かせたという話も奇蹟物語です。
このような不思議な話を観念的に総括すると、「宗教には人智では理解出来ないことが含まれている」ということになります。
仏教は身近な宗教なのでもう少し詳しく見てみましょう。
我々が仏教で困ることの一つはお葬式の時、僧侶が読むお経の意味が判らないことです。お経は40分から1時間続きましから足がしびれます。意味の判らないことを緊張して聞いていることは苦痛です。
実はお経を読んでいる僧侶もあるお経の意味は判らないのですから、他の人が判る筈がありません。そのお経は人智では理解出来ないように出来ているのです。
僧侶はお経の意味を説明しません。自分で調べて理解するのが基本です。僧侶に意味を問うと、「それは有り難いお釈迦さまの教えを読んでいるのです」と簡単に教えてくれます。そして意味が判らないから有り難いのだよと心の中で呟いているのです。
正確に言えばお経には完全に意味の判るお経と、意味の判らないお経の2つの種類に分けられます。
日本で読まれていお経の大部分は唐の時代に玄奘三蔵法師がインドから持ち帰り、西安で漢文に翻訳したものです。
その時、意味の判る漢文にしたお経の他に、インドのサンスクリット語の原文の音を漢字で表現したお経があるのです。
意味の判る一番重要なお経は 般若心経です。お釈迦様の教えを判りやすく短く説明した漢文のお経です。実はこの般若心経の中にもギャーティー、ギャーティーやノウマクサンマンダ、ボタナンバンという部分などはマントラと言って意味不明のサンスクリット語です。
しかしこの部分を除けば 般若心経は意味が明快に判るお経の代表なのです。
それでは意味の判らないお経の代表はと言えば何というお経でしょう?
それはお葬式の時、必ずのようによく読まれる大悲心陀羅尼(だいひしんだらに)というお経です。
「なむからたんのー、とらやーやー」という出だしが聞こえたら、それが大悲心陀羅尼なのです。それはお葬式だけでなく、禅宗で広く日常的に読誦されている基本的なお経なのです。
その意味は?と問われれば判りませんとしか答えられません。
しかしそれを繰りかえし声を出して読んでいるとお釈迦様が身近に感じられるのです。そして自分がお釈迦様に帰依し、自分の身を捧げますという気分になっていくのです。ですから大悲心陀羅尼はお釈迦さまへの信仰告白だと解釈している宗派もあるようです。
このように宗教には人智では理解出来ないことが含まれています。そしてこの人智では理解出来ないことが非常に重要な柱になっているのです。
私は幼少のころ祖父や伯父が住職をしていたので般若心経と大悲心陀羅尼を何度も声を上げて何回も読みました。意味も判らずに読みました。
祖父や伯父は一度も意味を説明しようとはしませんでした。ただ幼いながらもそれが仏教というものだという感じがしました。
大人になって偶然が幾つか重なって私はカトリックになりました。そうしたらお経を読むという幼児体験があったおかげで、人智を越えた聖書の内容が判る感じがしたのです。その感じが信仰にとって重要だったのです。
これは私の個人的な感想ですから正しいと主張するつもりは毛頭ありませ。読み流してくだされば私も気楽です。
皆様にも気楽になって頂くために今日の挿し絵代わりの写真は昨日、神代植物公園で撮ってきたいろいろな花の写真です。4番目の黄色の花は雲南省原産の地湧金蓮です。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)
====参考資料=============
大悲心陀羅尼(だいひしんだらに)とは?
正式には『千手千眼観自在菩薩広大円満無礙大悲心陀羅尼』といい、伽梵達摩訳『千手千眼観自在菩薩広大円満無礙大悲心陀羅尼經』の陀羅尼部分を取り出したものとされる。略して大悲呪という。
南無喝囉怛那哆羅夜耶。南無阿唎耶。婆盧羯帝爍鉗囉耶。菩提薩埵婆耶。摩訶薩埵婆耶。摩訶迦盧尼迦耶。唵。薩皤囉罰曳。數怛那怛寫。南無悉吉利埵伊蒙阿唎耶。婆盧吉帝室佛囉楞馱婆。南無那囉謹墀。醯唎摩訶。醯唎摩訶皤哷沙。薩婆阿他豆輸朋。阿逝孕。薩婆薩哷那摩婆薩哷。那摩婆伽。摩罰特豆。怛姪他。唵。阿婆盧醯。盧迦帝。迦羅帝。夷醯唎。摩訶菩提薩埵。薩婆薩婆。摩囉摩囉。摩醯摩醯唎馱孕。俱盧俱盧羯蒙。度盧度盧罰闍耶帝。摩訶罰闍耶帝。陀囉陀囉。地利尼。室佛囉耶。遮囉遮囉。摩摩罰摩囉。穆帝隸。伊醯伊醯。室那室那。阿囉參佛囉舍利。罰沙罰參。佛囉舍耶。呼盧呼盧摩囉。呼盧呼盧醯利。婆囉娑囉。悉利悉利。蘇嚧蘇嚧。菩提夜菩提夜。菩馱夜菩馱夜。彌帝唎夜。那囉謹墀。地利瑟尼那。婆夜摩那。娑婆訶。悉陀夜。娑婆訶。摩訶悉陀夜。娑婆訶。悉陀喻藝。室皤囉夜。娑婆訶。那囉謹墀。娑婆訶。摩囉那囉。娑婆訶。悉囉僧阿穆佉耶。娑婆訶。娑婆摩訶阿悉陀夜。娑婆訶。者吉囉阿悉陀夜。娑婆訶。波陀摩羯悉陀夜。娑婆訶。那囉謹墀皤伽囉耶。娑婆訶。摩婆唎勝羯囉耶。娑婆訶。南無喝囉怛那哆羅夜耶。南無阿唎耶。婆盧吉帝。爍皤囉耶。娑婆訶。悉殿都。漫哆囉。跋陀耶。娑婆訶。
読み方
なむからたんのー。とらやーやー。なむおりやー。ぼりょぎちー。しふらやー。ふじさとぼやー。もこさとぼやー。もこきゃるにきゃやー。えんさーはらはえー。しゅたのーとんしゃ。なむしきりー。といもーおりやー。ぼりょきちーしふらー。といもーおりやー。ぼりょきちーしふらー。りとぼー。なむのらーきじきりー。もこほどー。しゃみさぼー。おとじょーしゅべん。おしゅいん。さばさとー。のもぼぎゃー。もはてちょー。とじとーえん。おぼりょぎー。りょぎゃちーからちー。いきりもこー。ふじさとー。さぼさぼー。もらもらー。もきもきー。りといんくりょくりょー。けもとりょーとりょー。ほじゃちやー。もこほじゃちやー。とらとらー。ちりにー。しふらやー。しゃろしゃろー。ももはもらー。ほちりー。いきいきー。しのしのー。おらさんふらしゃりー。はざはざー。ふらしゃやーくりょくりょー。もらくりょくりょー。きりしゃろしゃろー。しりしりー。すりょーすりょー。ふじやーふじやー。ふどやーふどやー。みちりやのらきんじー。ちりしゅにのー。ほやものそもこー。しどやーそもこー。もこしどやーそもこー。しどゆきーしふらやーそもこー。のらきんじーそもこー。もらのらそもこー。しらすんおもぎゃやーそもこー。そぼもこしどやーそもこー。しゃきらー。おしどやーそもこー。ほどもぎゃしどやーそもこー。のらきんじー。はぎゃらやーそもこー。もほりーしんぎゃらやーそもこー。なむからたんのうとらやーやー。なむおりやーぼりょぎちーしふらやーそもこー。してどー。もどらー。ほどやー。そーもーこー。




