後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

「睡蓮とウツギと山ボウシの花が美しく咲く季節になりました!」

2016年05月25日 | 写真
先程、小平市にある都立薬用植物園で撮って來ました。季節の移ろいは早く、もう初夏の花々が美しく咲いています。スイレンの花の写真3枚とウツギの花とヤマボウシの花の写真を1枚ずつ順々にお送りいたします。









伊勢志摩での先進国首脳会議、G7開催を喜ぶ

2016年05月25日 | 日記・エッセイ・コラム
第二次世界大戦で完膚なきまでに負け、荒廃した日本を見た老人の私はサミットの会議が開催される度に嬉しく感じます。
荒廃しきった日本の復興に国民が心血を注いで努力してきたのです。その結果、1975年の第1回先進国首脳会議で日本がメンバーとして参加したのです。
このとき程嬉しく感じたことはありません。敗戦で地の底に落ちた日本が再び復興し主要な先進国としてみとめられたのです。
この先進国首脳会議の第一回の会議の参加者は、以下の通り6ケ国の首脳達でした。
ヴァレリー・ジスカール・デスタン(議長・フランス共和国大統領)
ジェラルド・フォード(アメリカ合衆国大統領)
ハロルド・ウィルソン(イギリス首相)
ヘルムート・シュミット(西ドイツ首相)
三木武夫(日本国内閣総理大臣)
アルド・モロ(イタリア首相)
この進国首脳会議にはその後カナダが加わりG7となります。そして一時、ロシアも加わった時期もありましたが最近は7ケ国のG7に戻っています。
会議の開催地はフランス、アメリカ合衆国、イギリス、ドイツ、日本、イタリア、カナダの順で毎年持ち回りで開催されます。
今回の伊勢志摩での会議は42回目です。
今日の記事ではこの会議の国際的な役割や影響を議論しようとしていません。それは皆様からのコメントにお任せいたします。
私は第二次大戦による大日本帝国の軍隊の壊滅と全ての都市の焼失を知っている者として先進国首脳会議への深い感慨を書いてみたいと思います。
現在のG7のメンバーはフランス、アメリカ合衆国、イギリス、ドイツ、日本、イタリア、カナダです。
この7ケ国は第二次大戦の時は2つに別れて戦ったのです。
日本とドイツとイタリーが枢軸国として、アメリカ、イギリス、フランス、カナダ、(そしてソ連と)と死闘を繰り広げたのです。
イタリーは早々に降伏しましたがドイツはモスクワ近くまで攻め込んだのです。日本は中國との戦争に引き続き真珠湾攻撃をしてアジア諸国を占領したのです。
この人類未曽有の大戦争が1945年に終結すると、今度はソ連と中共にに敵対するアメリカ、イギリスなど資本主義諸国との間の冷戦が厳しくします。
その30年後の1975年に先進国首脳会議が始まったのです。
1991年のソ連の崩壊によりロシアは民主国家になり一時、先進国首脳会議へ加わったのです。しかしその後ロシアはアメリカを主にする西側に激しく対立します。その結果、ロシアは参加資格を停止され、再び7ケ国になったのです。
そして1990年頃から中国経済が急成長し。そのGDPも現在、アメリカについで世界2位になっているのです。
これに平行するように中国は南沙諸島に軍事基地を作り太平洋へ進出し始めました。
このような国際情勢の変化を受けて先進国首脳会議、G7はどのような役割を担うのでしょうか?
この先進国首脳会議、G7が間も無く伊勢の志摩で開催されるのです。どのような議題がどのように議論されのか見守りたいと思います。

今日の挿し絵代わりの写真は主要国首脳会議の第一回会議がフランスで開催されので、それにちなんでフランスの街路樹のマロニエの花の写真をお送りします。

なおマロニエの花の背後の建物は、ラ・リューシュ(蜂の巣)と呼ばれ、1900年に開催されたパリ万国博覧会のワインのパビリオンを模して山梨県の清春に再現されたものです。清春のラ・リューシュは画家の共同利用のアトリエになっています。
余談ですが、パリのパビリオンはその後、モンパルナスに移築されてアトリエに改装され、通 称ラ・リューシュ(蜂の巣)と呼ばれました。若き日のシャガール、スーチン、モジリアニなどの巨匠たちが住んでいた所として有名であり、現在はパリ市の記念建築物として保存されています。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)
===参考資料================
主要国首脳会議とは;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%BB%E8%A6%81%E5%9B%BD%E9%A6%96%E8%84%B3%E4%BC%9A%E8%AD%B0
発足時の名称は「先進国首脳会議」。
冷戦下の1973年のオイルショックと、それに続く世界不況に起源を持つ。これらのトラブルによってアメリカで、西側諸国(ヨーロッパ諸国、アメリカ、日本)の財務大臣級が集まり、経済的課題を討議する会議「ライブラリーグループ」がまず生まれた。
1975年に、フランス大統領ヴァレリー・ジスカール・デスタンはライブラリーグループメンバーに西ドイツを加えた、“工業化された4つの主要民主主義国”の首脳をフランスのランブイエに招待し、フランスを含めて5カ国ではじめての首脳会議を開催し、定期的に首脳会議を持つことを提案した。このときの出席者は、主催国を交代しつつ年に一回会議を持つことに合意した。こうしていわゆる「G5」が生まれた。しかし、これを不服としたイタリアの首相が第1回会議に乗り込んで来た為、イタリアを加えG6となる。しかし、これでは欧州に偏る為、翌年のプエルトリコの首都サンフアンでのサミットでアメリカのジェラルド・フォード大統領の要請によりカナダが参加したことにより、「G7」となる。以下省略。

その他:
近年では、G8メンバー以外にも様々な政治のリーダーが会合に参加している。どの国を招待するかについては、基本的にはそのときの議長国の判断による。
まず国家首脳として、
中華人民共和国主席
インド首相
ブラジル大統領
メキシコ大統領
南アフリカ大統領
の5名である。2005年から3年連続で参加したが、その後は参加していない。