後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

茫々戦後70年、オバマ大統領の広島訪問に皆様は何を思うか?

2016年05月18日 | 日記・エッセイ・コラム
オバマ大統領が間もなく広島を訪問する予定です。アメリカの原爆投下から茫々70年、現職のアメリカ大統領がはじめて広島を訪問するのです。
この事を皆様はどうのようにお考えになりますか?
この広島訪問の意味を少し理解するためにはオバマ大統領の2009年のプラハ演説を知るのが良いと思います。この演説の直後に彼はノーベル平和賞を貰ったのです。欧米社会で大きく称賛された歴史的な名演説でした。その抜粋を以下に示します。

・・・私は故郷シカゴで長年暮らすうちに、チェコの人々は陽気な良き仲間であるということがよく判った。・・・1918年、米国がチェコの独立支持を誓約した。・・・
私が生まれた頃、世界は分裂しており、我々の国は今とはまるで異なる状況に直面していた。私のような者がいつの日か合衆国の大統領になるであろうなどと予見する者は、ほとんどいなかった。米国の大統領がいつの日かこうしてプラハの聴衆に語り掛けることを許されるであろうなどと予見する者は、ほとんどいなかった。そして、チェコ共和国が自由国家となり、NATOの一員となり、統一された欧州の主導者となるであろうなどと想像する者は、ほとんどいなかった。そのような考えは、夢物話として片付けられたことであろう。
我々が今日ここにいるのは、世界は変わり得ないという声を気にしなかった多くの人々のお陰である。・・・

さて、本日私が焦点を当てる課題の1つは、我々両国の安全保障にとって、また世界の平和にとっての必須課題――即ち21世紀における核兵器の将来について――である。
何千発もの核兵器の存在は、冷戦が残した最も危険な遺産である。合衆国とソ連との間に核戦争が起きることはなかったが、人民は幾世代にも亙って、世界が一閃のうちに消え去るやも知れぬことを認識しつつ暮らしていた。幾世紀にも亙って存在し、多くの人類の美と才を体現してきた、プラハのような都市の数々が消滅する惧れがあったのである。・・・
今やこれは、世界中の人々にとって問題となっている。1つの都市で1発の核兵器が爆発すれば――それがニュー・ヨークやモスクワであろうと、イスラマバードやムンバイであろうと、東京やテル・アビブであろうと、パリやプラハであろうと――、何十万もの人々が殺害される惧れがある。そして、それが何処で起こったとしても、その影響は――世界の安全、我々の安全保障、我々の社会、我々の経済、そして我々の究極的な生存に至るまで――、留まるところを知らないであろう。・・・

20世紀に自由を求めて共に戦ったように、21世紀には、恐怖のない生活を世界中の人々が送る権利を求めて、我々は共に戦わねばならない。そして核保有国として――核兵器を使用したことのある唯一の核保有国として――、合衆国には行動する道義的責任がある。我々は単独ではこの取り組みを成し遂げられないが、それを主導し、開始することはできる。
故に私は本日、信念を持って表明する。米国は、核兵器のない世界の平和と安全を追求するのだと。
・・・以下省略。(Wikipediaの「バラク・オバマのプラハでの演説」より抜粋)

この演説を現在もう一度読み返すとオバマ大統領の核兵器廃絶への熱い情熱と堅い信念にあらためて感動します。
ですから彼の広島訪問はこの「プラハ演説」にもとづいた彼の道義的な行動の一つであると理解出来ます。

しかし彼の広島訪問は戦後70年の日米感情にも関係した複雑な背景があります。原爆を落とされた日本人としてはいろいろ考えがあるのは当然ではないでしょうか?その日本人の考え方を3つに大別すると以下のようになると存じます。
(1)オバマ大統領は広島で原爆というような残忍な兵器を使ったことを謝罪すべきである。
(2)原爆犠牲者の慰霊碑へ花輪を供えれば、それ以外に謝罪する必要はない。
(3)オバマ大統領の広島訪問へは何も言わないで沈黙を守り核兵器廃絶を一緒に祈るのが良い。
皆様のお考えは上記の3つの内のどれでしょうか?そして上記以外のお考えがありましたなら是非お教え下さい。
皆様からのコメントをお待ちしています。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)
今日の挿し絵代わりの写真は3日前に山で撮った上から順に桐の花、オオデマリ、アカシヤ、山ツツジ、山藤の花の写真です。